最近の私の一番の「敵」についてお話ししようと思う。 私は社会的に計るのなら結構レベルの高い家に生まれ、小中高共に私立に通い、様々な場所へ旅行したり留学したりしてきた。いわゆる、世界の人口の数パーセント程に当たる恵まれた国に住み、恵まれた生活を今の今まで送っている。それは私がそもそも先進国に生まれたおかげであったり、人並み以上に働いた両親のおかげであったりするのだが、恵まれた環境ですくすくと育ってきた私は、今の環境がさも自分自身で築いてきた居心地の良い世界であると考えていた時期があった。もちろん、年齢を重ねるにつれてその考えは変わった。それでも、その理解し始めた最初の時期でさえ、「こういう環境のところに生まれた私の運がいいのだ。」などと思っていたのだから、今考えると恥ずかしい。そんな私の一番の敵は、このいう風な恵まれた環境、大げさに言うのなら、「欲しいものが手に入る」環境にいるからこその、手ごわい敵である。敵の戦略には、舌を巻いてしまう。甘くて暖かい空気に包まれて育った私の心の中を、上へ下へとめちゃくちゃに引っ掻きまわしたあげく、決して消せない余韻を私の心の隅にわざと置いていく。私が何かへまをした時に限って現れては、お前はだめだ、周りを見ろ、と高らかに笑いながら私の周りをグルグルと見せつけるように回る。私がつらくて泣こうものなら、あいつは飛び跳ねて喜ぶだろう。なぜなら、あいつにとって私の涙は私自身の至らなさで味付けしたごちそうだからである。そう、最近の私の敵は、「劣等感」なのだ。 私はこの年になるまで、大きな失敗というものをしたことがなかった。仮に何か大きな試練があった時も、両親がうまくフォローしてくれたお陰で、後に尾を引くようなショックな出来事は私の記憶の限りはない。私が生まれ育った恵まれた環境という特権は、決して敗北を知らない長年無敵のカードであったのだ。私はその切り札によって自分の実力を出さなければならない場面で充分に発揮することが出来たから、受験も留学も友達づきあいもそつなくこなしてきた。だから、最初にその敵が現れた時、何が起こっているのかよくわからなかった。私は自分の切り札が目の前で無残にも切り裂かれるのを間のあたりにしてからも、自分の手持ちのカードで反撃はできないのかと、いやできるはずだと、結果の見えた戦いを続けようとした。勝つ道などもう残ってはいないのに、負けを認めたくはなくて、敗北とともにやってくる劣等感を受け入れたくなくて、必死だった。初めて経験した劣等感はすさまじく、何度不謹慎なことを考えたか。地球に隕石が衝突して、世界がパニック状態になればまた最初からやり直せるかもしれない、しまいにはそう逃げた。けれど私が何度願っても地球に隕石は当たらなかったし、私が他の人より劣って負けた、という事実はしっかりと残ってしまった。十九歳にして、初めて一人の人間としてつかみたかった夢は、切り札を除いた私の平凡な手持ちカードでは歯が立たなかったのだ。そしてその時私は初めて気がついたのだ。他人が限られた環境の中で、「目に見えない経験値」をためている時に、私はただ、もとからあった経験値にうぬぼれて使うばかりであったということを。 私の母はよく言う。戦後から平成にかけて生きていた人達が一番幸せであった、と。誰もかれもが何もない所から魔法をかけるがごとく素晴らしい技術を生み出し、がむしゃらに生きて自分を輝かせようとしたあの時代に変えられるものはない、と。まったく、その通りなのだ。今の時代、私のように最初から恵まれた人々が多すぎる。誰のせいでもなく、そういう人達に「見えるもの」には限りがある。恵まれた環境にいれば、敗北を知らないで育つ人は多い。そしてその人達が一人歩きを自信を持って始めた時、劣等感をともなう敗北にぶつかるのだ。ただ、私と同じように。と同時に、知ることになる。知り合う人全てが、両親の傘下にいた時のようには自分に微笑んではくれないことを。 現在の私の手持ちカードはいたって普通だ。弱くもなければ、特別強くもない、けれどこれから私自身で強さを補うためのベースを作れるだけの準備はある。劣等感は相変わらず私の周りをうろちょこしているし、これからも奴がスキップしながら襲ってくる日々は繰り返されるだろう。でも、一つだけ違う事がある。私には、近くにはいなくとも、遠くから聞こえてくる優しい声援で立ち上がる力がまだまだある。自分の未来をあきらめる人には決してなりたくないから、周りが無条件にくれた、経験値を使うだけの生活はもうやめた。今こそ、自分の経験値を自分でためる時だ。後ろにつきまとう劣等感とは相性が合わないけれど、いつか、そういつかきっと、スキップで来るあいつに不敵な笑みを返せる日が来ると、私は信じている。
長川さんは、こんな人… relevos.76 山本
佳奈江 大学で知り合ってまだ半年ちょっと。それでも話す度に刺激を与えてくれる、私の素敵な友達です。彼女の元気のおすそ分けに、いつも頼ってばかりいます。アクティブでひょうきんな、魅力いっぱいの女性です。
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