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Home > リレーエッセイ > relevos.76~80

 relevos.76~80

relevos(リレーエッセイ)は、気ままに連鎖します。
当財団は口をはさめません。


 relevos.76 山本 佳奈江   「夜のせい」

 私は哲学にも疎いし、偉大な哲学者の著書などあまり読んだことはないけれど、大学の授業で簡単ではあったがかの有名なニーチェの永劫回帰説の説明を受けた時は、そそられるものがあった。
 自分もいつかは死ぬということをようやく悟ったのは小学校低学年の頃。既にいくつかの葬儀を経験し、親族の死を目の当たりにしていても、それがいつかは自分の身にも降りかかるということを知らず、ある意味では自分の不死を信じていたのに、ある日自分も例外なく死を迎えなければならない事実に急に気づいて、ひとりでぐすぐす泣いたことが記憶にある。幼い私にとって、それは想像もつかないほどの悲劇で、死が自分を待ち受けているという事実が、ただ何とも恐ろしく悲しかった。
 成長するにつれ、私は儚さを知った。「今日おめでとう。なぜなら今日は○○年○月○日という初めての日だから」なんてよく言って、友達に笑われたものだ。「最初で最後」とは決して言わなかった。
 色々と生意気に一人前の顔をしたくなるような年頃に差し掛かると、家族も近所も町も寝静まったような時間に、窓から身を乗り出してよく考え事をした。そんな時間が私は好きだった。今でもたまにそんな時間を過ごしたりする。顔にかかる風を感じ、大きく息を吸い込んで静寂の香りを嗅ぎ、昼間とは違う佇まいのお向いさんの家を眺める。自分が小説の主人公になった気分で感傷に浸る。もうこんな気持ちになる夜はこないのだ、と。同じ星の位置、同じ雲の形、同じ風に、同じ匂い、同じお向いさんの家の姿が重なる夜は二度と来ないのだ、と。私が刹那主義をモットーに生活しているということは決してないけれど、その一瞬が私には大切だった。その瞬間が、儚さと切なさを一気に自分のものにできる時間だった。自分だけがそれを独り占めしていると思える、特別で神秘的な時間だった。
 そしてニーチェである。有限の原子と無限の時間ならば、原子の可能な順列組み合わせの数はいつかまた到達されざるを得ず宇宙は繰り返すと彼は説いた。少なくとも、これが私の理解出来うる範囲での解釈である。何億万年もの年を経て今私は再び山本佳奈江をやっており、またも長い年月を経て遠い未来で自分をやるそうだ。だから死を恐れる必要はない、と。同じ両親から生まれ、同じ友人たちに出会い、同じ人生を歩む。「私」は不滅なのだそうだ。「山本佳奈江」の運命も決まっている。彼はだから「AMOR FATI~運命を愛す~」と言った。
 私の大好きな夜の時間がまたいつか廻ってくるかもしれないと知っても、それでもたまに頬に伝う涙を風が拭うのは何故だろう。私の人生を、運命を愛しきれないから?きっと違う。以前の、そして未来の山本佳奈江と同じ時に、同じ肉体で、同じ出会った誰かに、同じ言動を取っていこうとも、今の私が思うことはきっと違うから。今の私が思い考えることは、過去の私にも未来の私にも、きっとわからないから。何より、そう願いたいから。自分の想いが大切に思える夜だから。
 次回は長川美里さん。出会いのきっかけとなったサークルには私はもう所属していないけれど、未だに仲の良いランチ友達です。


山本さんは、こんな人… relevos.75 寺嶋 友文子
真面目で自分を持っている素敵な人です。話が上手で一緒にいると笑顔になれます。ひとつひとつの考えが深いので、見習わなければ・・と思う面がたくさんあります(*^_^*)!



 relevos.77 長川 美里   「敵」


 最近の私の一番の「敵」についてお話ししようと思う。
私は社会的に計るのなら結構レベルの高い家に生まれ、小中高共に私立に通い、様々な場所へ旅行したり留学したりしてきた。いわゆる、世界の人口の数パーセント程に当たる恵まれた国に住み、恵まれた生活を今の今まで送っている。それは私がそもそも先進国に生まれたおかげであったり、人並み以上に働いた両親のおかげであったりするのだが、恵まれた環境ですくすくと育ってきた私は、今の環境がさも自分自身で築いてきた居心地の良い世界であると考えていた時期があった。もちろん、年齢を重ねるにつれてその考えは変わった。それでも、その理解し始めた最初の時期でさえ、「こういう環境のところに生まれた私の運がいいのだ。」などと思っていたのだから、今考えると恥ずかしい。そんな私の一番の敵は、このいう風な恵まれた環境、大げさに言うのなら、「欲しいものが手に入る」環境にいるからこその、手ごわい敵である。敵の戦略には、舌を巻いてしまう。甘くて暖かい空気に包まれて育った私の心の中を、上へ下へとめちゃくちゃに引っ掻きまわしたあげく、決して消せない余韻を私の心の隅にわざと置いていく。私が何かへまをした時に限って現れては、お前はだめだ、周りを見ろ、と高らかに笑いながら私の周りをグルグルと見せつけるように回る。私がつらくて泣こうものなら、あいつは飛び跳ねて喜ぶだろう。なぜなら、あいつにとって私の涙は私自身の至らなさで味付けしたごちそうだからである。そう、最近の私の敵は、「劣等感」なのだ。
私はこの年になるまで、大きな失敗というものをしたことがなかった。仮に何か大きな試練があった時も、両親がうまくフォローしてくれたお陰で、後に尾を引くようなショックな出来事は私の記憶の限りはない。私が生まれ育った恵まれた環境という特権は、決して敗北を知らない長年無敵のカードであったのだ。私はその切り札によって自分の実力を出さなければならない場面で充分に発揮することが出来たから、受験も留学も友達づきあいもそつなくこなしてきた。だから、最初にその敵が現れた時、何が起こっているのかよくわからなかった。私は自分の切り札が目の前で無残にも切り裂かれるのを間のあたりにしてからも、自分の手持ちのカードで反撃はできないのかと、いやできるはずだと、結果の見えた戦いを続けようとした。勝つ道などもう残ってはいないのに、負けを認めたくはなくて、敗北とともにやってくる劣等感を受け入れたくなくて、必死だった。初めて経験した劣等感はすさまじく、何度不謹慎なことを考えたか。地球に隕石が衝突して、世界がパニック状態になればまた最初からやり直せるかもしれない、しまいにはそう逃げた。けれど私が何度願っても地球に隕石は当たらなかったし、私が他の人より劣って負けた、という事実はしっかりと残ってしまった。十九歳にして、初めて一人の人間としてつかみたかった夢は、切り札を除いた私の平凡な手持ちカードでは歯が立たなかったのだ。そしてその時私は初めて気がついたのだ。他人が限られた環境の中で、「目に見えない経験値」をためている時に、私はただ、もとからあった経験値にうぬぼれて使うばかりであったということを。
私の母はよく言う。戦後から平成にかけて生きていた人達が一番幸せであった、と。誰もかれもが何もない所から魔法をかけるがごとく素晴らしい技術を生み出し、がむしゃらに生きて自分を輝かせようとしたあの時代に変えられるものはない、と。まったく、その通りなのだ。今の時代、私のように最初から恵まれた人々が多すぎる。誰のせいでもなく、そういう人達に「見えるもの」には限りがある。恵まれた環境にいれば、敗北を知らないで育つ人は多い。そしてその人達が一人歩きを自信を持って始めた時、劣等感をともなう敗北にぶつかるのだ。ただ、私と同じように。と同時に、知ることになる。知り合う人全てが、両親の傘下にいた時のようには自分に微笑んではくれないことを。
現在の私の手持ちカードはいたって普通だ。弱くもなければ、特別強くもない、けれどこれから私自身で強さを補うためのベースを作れるだけの準備はある。劣等感は相変わらず私の周りをうろちょこしているし、これからも奴がスキップしながら襲ってくる日々は繰り返されるだろう。でも、一つだけ違う事がある。私には、近くにはいなくとも、遠くから聞こえてくる優しい声援で立ち上がる力がまだまだある。自分の未来をあきらめる人には決してなりたくないから、周りが無条件にくれた、経験値を使うだけの生活はもうやめた。今こそ、自分の経験値を自分でためる時だ。後ろにつきまとう劣等感とは相性が合わないけれど、いつか、そういつかきっと、スキップで来るあいつに不敵な笑みを返せる日が来ると、私は信じている。


長川さんは、こんな人… relevos.76 山本 佳奈江
大学で知り合ってまだ半年ちょっと。それでも話す度に刺激を与えてくれる、私の素敵な友達です。彼女の元気のおすそ分けに、いつも頼ってばかりいます。アクティブでひょうきんな、魅力いっぱいの女性です。



 relevos.78「映画な、理由」     小髙史織 

    シーン∞ どこかわからない部屋(あたりは白い光に包まれて
    いる)
    人物A 「なんで映画が好きなの?」
    私    「うーんなんかわかんないけど好きなんだ、感覚的な
         感じ?」
         私、微笑む
 中学生で映画を「好き」になってから繰り返し続けてきたやりとりである。
映画が本当に好きな人は、「映画の光と影が」とか「言葉ではなく映像で語る」感じが好きなんて言うのかもしれない。でも私は違った。なんで映画が好きなの、と聞かれても即答できなかった。なんで本でもなく、なんで舞台でもなく、なんでドラマでもなく、なぜ映画なのか。私は高校で名ばかりの映画製作部に所属していた時も、ワークショップに参加した時も、念願の早稲田大学の映画サークルに所属してからも、ずっとその質問の答えを探し続けた。そしてその答えをやっと、見つけた。
    シーン1 サークル御用達の居酒屋
    W先輩 「小髙はさ、なんで映画なの?」
    私    「うーん理由なんて実はなかったんですよ。気づいた
          ら映画があったみたいな。別に本だろうが、マンガ
          だろうがなんでも良かったんです。つらい時に近くに
          あったのが映画だったんですよね・・多分」
          私、笑う
 
 さて映画を好きだと周りに公言し始めた、中学3年生の時の話をしよう。
 私は中学校が大嫌いだった。近くの公立小学校から、東京のど真ん中の私立の女子校に合格した時、私は天にも昇る気持ちだった。ああ、あの可愛い制服を着られる!ただそれだけの理由で受験を決めた私は、入学1週間でお嬢様学校に嫌気がさし、中学3年生の時には心底学校が嫌で、中高一貫校をやめて、別の高校への進学を考えていた。中高一貫校というのはどこもそうらしく、中学2、3年生が一番荒れる。授業もまともに進まないし、生徒は外見から変化していくし、ここに記す事がはばかられる悪事もとびかった。私も多少なりとも加担はしたし、でも今思えば当時は、そのへんに転がる青い春の一時代であった。だけれど、私たち中学生にとっては学校が全てであった。学校の外に友達や、素敵な出会いがあったとしても、「で、どこ中なんだっけ?」という質問はついて回ったし、私たちは多くの場合中学という囲いにとらわれていた。私は日々安定しない学校生活と、ころころカメレオンのごとく周りに合わせながら生活する自分に嫌気が指していたのだ。今でもよく大学の先輩や友人にからかわれるけれど、私は周りに合わせるのがうまいらしい。もう私の都合のいいキャラはネタと化しているけれど、それは中学生の頃の名残であると密かに思っている。
 ともかく中学3年生の私は、高校で外に出る事を励みに時々映画を見ては、部活に、勉強に励んだ。ところが成績が安定し始めた矢先、両親からリスクの高い受験を反対され、大ゲンカになった。中高一貫校でこのまま頑張れば、ある程度の大学には行けるかもしれない。でも高校受験で失敗したらどうする?私は私立の女子校から一番遠い、都立の共学だけを受験するつもりであった。そして争いの末、私は中学3年の冬、受験を断念した。その当時は両親を恨んだが、結局決断は自分で下した。私は受験が怖くて、安全パイをとったのだ。本当に仕様もなく下らない一件だったけど、あと3年も同じ学校で、同じ環境で暮らす事になった私は絶望し、崩壊した。すごく疲れてしまった。でも学校に行けば、周りに合わせるのがうまい私は、変わることなく学校に通った。すねて学校を休んでやる勇気もなかった。そして映画を見た。つまらない毎日を忘れさせてくれる2時間何分や3時間何分の世界に浸った。そのころ心の支えにした特定の映画なんてない。でも私にとって映画を見る事は至極大切な事であった。映画が本当に好きな人には罵倒されるかもしれない、そんな理由から私は映画を好きと言うようになったのだ。そして映画を「好きと言うようになった」私は次第に映画に魅せられていった。映画の物語に、映像に、音に、そしてその作り手側に思いを馳せた。
 映画の勉強をしたい、と私は1年間外国への留学を決め、高校へはそのまま進んだ。帰国後は中学とは正反対に同じ学校で、しかしもうすさんでなどいない環境で、そこそこ楽しい高校生活を送った。今でも会いたいと思える仲間と思い出を作ったのは、あのかつては大嫌いだった中学校と同じフィールドである。
 14歳にまつわる映画で、救いのない映画が多いのも納得のように、中学時代は誰しも多少つらい。でも当時は一人でくよくよして、世界の全てが学校だと鼻から信じていた。そしてその時映画が私の支えであった。きっとその当時の友人や家族に私は無意識のうちに支えられていたけれど、それでも映画がなければ私はきっと本当に些細な、でも当時の私にとっての大事件で、もっとだめになっていた、と思うのだ。
 私の大好きな小説家に辻村深月という人物がいる。彼女のキャッチコピーは、講談社文庫の例をとるならば、『「あの頃」の私たちの切なさ、焦りを、喜びを、辻村深月は知っている』であり、彼女の書く本は青春小説の金字塔だと言われる。私が彼女の本を愛してやまないのは、彼女が自らの身をおそらく削りながら、本当に正直に「あの頃」をえげつないほどに書いてくれるからだ。そしてそんな彼女の書いた「スロウハイツの神様」という小説に、私の忘れられない一節がある。物語は主人公の脚本家である環を中心に、友人のクリエイターの卵たちが共に暮らし、葛藤し、成長していく様を描く。その中で環の母親は罪を犯していて、環はマスコミからも、親戚からも白い目で見られ生活をしてきたという、つらい生活を送っている。しかし、彼女はチヨダコーキという小説家の本を支えにして生きた。彼女はその小説家について、本についてこう語る。
 「今日まで、支えがなければとても生きてこられなかった。そんなものが支えだなんて、それをどうかと思う人もいるだろう。けれど、それがあることがどれだけ幸せなことかを、環は知っている。」
そうか私も知っている、と思った。

 私は留学前外国の映画製作に携わりたかったのだが、留学先で偶然みた岩井俊二監督の「リリィシュシュのすべて」を見て衝撃を受けた。そして日本での映画づくりを将来の仕事にしたいと決意した。そして形を少しずつ変えてはいても、私はその思いを今も持っている。「リリィシュシュのすべて」はあるカリスマ歌手リリィを支えに生きる中学生たちを描きながらも、奇しくもその支えが彼らを救えなかったという事を描いている。でも私は映画に救われた。言い訳のように始まった私と映画の付き合いである。でも私は、誰かの支えになってりゃいいなあなんて事はほとんど忘れながら、好きな映画の仕事に関われたら、なんてすごく途方もない事を、この就職難の時代に思う。

引用
「スロウハイツの神様 下」 235P ?7-9+帯 辻村深月著 講談社文庫


小髙さんは、こんな人… relevos.77 長川美里
中学・高校の同級生です。高校で場所は違えど同時期に留学し、帰国後に日本の高校のキャッチアップや受験を一緒に頑張った仲です。高校の頃から様々な将来の話しをして大学に入ってからもお互いいい刺激になっています



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