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 relevos.11〜15

relevos(リレーエッセイ)は、気ままに連鎖します。
当財団は口をはさめません。


 relevos.11 一柳 敦子  「虫を飼う」

 ひょんなことから、「ナベブタムシ」という虫を飼育することになった。水の中に住む5ミリほどの小さな昆虫で、平べったくまんまるなことからこんな名前をつけられてしまったようだ。大学で水生昆虫の研究をしている義理の弟が、水槽で増えたナベブタムシを連れてきたのである。

 私は30になる今まで昆虫を飼育したことなど一度もなかった。クモや毛虫を見て卒倒するほど苦手ではないにしても、まあ虫に対しては人並みに気味悪い印象を持っている。ちゃんと飼ってあげられるのか不安だったが、弟が連れて来た彼らは、湿らせたコケの中でモソモソ動き回るかわいい奴だった。さっそく梅酒用の広口瓶に砂利を敷いて水を満たし放してやると、敏捷に泳ぎ回り、すぐに砂利の中に潜ってしまった。ナベくん(うちではそう呼ばれている)は夜行性で、暗くならないと出て来ないそうだ。ちょっと残念。でも見るからに恐ろしげな虫じゃなくてよかった。が、ナベくんたちを飼育するにあたって、もう一種類付き合って行かなければならない虫がいた。「アカムシ」という小さなミミズ状の虫で、ナベくんの餌なのだ。弟からウニャウニャ蠢くアカムシがいっぱい詰まったタッパーを渡され、冷蔵庫に入れとけという。泣きそうになりながらも、生き物と付き合うのに都合のいいことばかりではあるまいと気を取り直し、少しでも親しむためにあだ名をつけることにした。「ニョロ」。…するとどうだろう、さっきまであんなにおぞましかった彼らが急にかわいらしく思えて来た。不思議なもんだ。餌に名前をつけるというのも残酷な話だが。

 ナベくんがきっかけで水生昆虫を研究している方々と話す機会が増えた。それまでまったく無関心だった世界なので、初めて聞くことばかりだ。特に興味深かったのは、最近の水生昆虫の位置づけが「生物学的水質判定」(住む虫によって水の質を調べる研究)に片寄り過ぎている、という話だ。もちろんその研究はとても重要だし、水質汚濁を考えることが大切なのは昆虫を愛するものほど分かっているが、と前置きしてOさんは言う。「特に子供には、あまりそういうくくりで昆虫をみてほしくないと思っているんですよ。知らないうちに、きれいな水に住む虫は“いい虫”、汚い水に住む虫は“悪い虫、駆除していい虫”と思ってしまうんじゃないでしょうか。もっと昆虫そのものに興味を持ってほしい。環境問題を親身に感じる近道は、植物や動物、昆虫に興味を持って、名前を知り、生態を知ることだと思います」

 なるほどなぁ。私もナベくんを飼い始めてから、家庭排水に特に気をつけるようになった。汚れた川を見ると、前より心が痛む。今まで言葉の上だけだったものが急に現実問題として感じられてきた。せめて家で飼われる運命となったナベくんには健やかでいてもらおう。真っ暗にした部屋の中、梅酒のビンをじーっと眺めながらそう思う。

 次回は作家の森絵都さんです。ファンの私としてはとても楽しみ!!


一柳さんは、こんな人… relevos.10 安楽 豊
一柳さんは、イラストレーターとして活躍する傍ら漫画家として新たにスタートした。彼女の描く世界は、独特のユーモアで溢れ、やさしい人柄も忍ばせる。アコーディオンと植物をこよなく愛し、現在は茶道に熱中する。30歳。杉並区在住。



 relevos.12 森 絵都  「川のある風景」


 物心がついた頃から住んでいる千葉を離れて、東京でひとり暮らしを始めることにした。感傷はない。幕張と東京なんて気軽に行き来できる距離である。だからこそ、これまで特に必要に迫られることもなく、実家に居座りつづけてしまった。
 身近な友人にもこの手の輩は多い。千葉というのは不便なようでいて、やはり便利な土地なのだろう。1時間弱で都心まで通勤できる実家にいて、わざわざ都内で暮らそうとするチャレンジャーは少ないし、ひとり暮らしの諸費用を考えると、そのぶん貯めこんでおいて旅行やら英会話やらテニスやらで使いたい、というのが人情ではなかろうか。
 大体、東京の人々が馬鹿にするほど、千葉の人間は東京に憧れていないし、劣等感も抱いていない。人間、1時間やそこらで簡単に行ける場所に、それほどの憧れは感じないものである。やはり飛行機くらい乗らなきゃ、ありがたみは出てこない。船で数ヶ月もかければどんな国でも黄金の島に見えてくるってものだろう。
 話が逸れたが、なんだかんだ言ったり言われたりしながらも、やはり千葉はそれなりに住みやすくて良い所だと私は思う。よく千葉にゴルフに来るという東京の知人は、「千葉の人たちはどうもおかしい。あそこは日本じゃなく、独立した南国だ」などと言うけれど、どこがおかしいのかは深くつっくこまないとして、確かに気候は穏やかで恵まれている。私は随分の間、停電を経験していないし、水不足の年もなんとか節水をまぬがれてきている。又、千葉の道路には東京ほどいちいち一方通行の規制がないところも、私にとっては嬉しい。まあなんとかなるだろう、という大まかさは、確かに南国気質と言えるかもしれない。
 千葉には豊かな自然もある。緑が多い。海がある。川も多い。私は千葉で三度ほど住居を変えたけど、家はいつも歩いて川まで行ける場所にあった。
 都内のマンションを探し始め、不動産屋さんと一緒に東京の町を巡っていると、落ち着いた良い町なのに、何かが足りないように思えることがある。家に帰って地図を開き、ああ、川がなかったんだ、とふと気づく。
 物件の内見に行った際、最も気になるのも窓からの眺望だ。もしかしたら住むことになるかもしれないその部屋の、窓の向こうに緑が見えないと、たちまち不安になる。
 私は千葉の人なんだなあ、とそんな時、思う。緑を吸いこみ海を望みながら川辺を歩いてきた記憶が、肌や血の中に染みこんでいる。
 だから、不動産屋で隣りあわせた若いお兄さんが、「家賃は5、6万で。狭くてもいいし、風呂もなくていいけど、でも千葉だけはいやだ」
 なんて言っているのを聞くと、その血がぶくっと沸き立つのである。
 ともあれ、今は新居探しの慌ただしい日々。ここまで書いてきてナンですが、都民になるのもそれなりに楽しみで、「新居はスペイン風に…」などと密かにほくそ笑んでいる。
 次回は、幼なじみの宇佐美桂子さん。彼女も筋金入りの千葉県民です。


森さんはこんな人…  relevos.11 一柳 敦子
心に響く素敵な本を何冊も出版している作家。豪気でセンシティブな人。好奇心とお酒がとっても強い人。まっすぐな瞳のウツクシー人。会って話してると愉快になってくる人。ハッとさせられる人。ハァ?!と思わされる人。現在スターウォッチングの勉強中。千葉県在住、30歳。



 relevos.13 宇佐美 桂子  「月の夜に」

 夏らしくない夏の日がタメ息とともに過ぎた。おかしな暑さのせいでこの夏はぐったり。とにかく眠たくて、羊の数を数えるまでもなく、羊を思い浮かべただけで眠ってしまうほどだった。そして眠っている間に夏は終わっていた。気がつけば秋の風が心地よく、いつもの帰り道、バスを降りて思い出したように空を見上げる。夏の月とは違う、秋の月が凛と浮かんでいた。気分がよくなって家までの坂道を一気に、登りきる。いつもは足を止めることもなく、月を見ることが多いけど、今年の中秋の名月はゆっくりお月見しようと、その時思った。
 最近読んだ本の中に、こんな話がのっていた。戦前の話だけれど、ニューヨークに在住していた外交官の話で、月の美しい晩に4・5人で町のはずれまで繰りだして月を眺めていると、警官が来て「何を謀議しているのか」と問い詰める。「月を眺めているのだ」と説明してもわかってもらえず、結局連行され、日本の月見の風習をもう一度説明するのに一晩かかったという。月見はごく限られた地域での風習のようだと書いてあった。日本人と月とのかかわり方は最近の神秘的なとらえ方よりも昔の人達の月を愛でるという感情的にとらえているのを、うらやましくもあり、ステキだなと思う。子供の頃に月が形を変えていくことに驚いたけど、大人になって、形を変えていく月や、見える様子によって月に呼び名があるのを知ってとても幸せな気持ちになった。呼び名をつけた人達の心の豊かさと、その人達が見ていた月を想像してうっとりしてしまう。今は夜といっても街の明かりで本当の月明かりなんて知らないけれど、幸い私の住んでいる町はまだまだ田舎なので、光害というほど、明るすぎないので、家の明かりが消える頃、窓から見るのも、なかなかいい。
 光のない場所の月だけじゃなく東京のシンボル(?)東京タワーと月というのも、なぜだかグッとくるものがあって、今でも忘れられない圧倒的な光景だった。
 忘れられない光景というのがいくつかあって、「東京タワーと月」の光景も、そのうちのひとつでそういった光景は時間が経つほどに強く、しがみつくように心のどこかに残っている。あの時、月を見て何を思ったのかは覚えていないけれど、あの日、あの場所で見た月が忘れられない。昔の人達が見た月と今の私達の見る月とでは、あまりに環境が違っているけれど、月を見上げるその先の思いはあまり変わらないのかもしれないなと思ったりする。
 いろいろな事を見たり聞いたり触ったりして大人になって、何に対しても初めてじゃないことが多くなったこの頃。でもこの先、まだ1度も見たことのない、想像もしたことのないような、光景に出会えるかもしれないなとぼんやり思う。それはいつかは分からない。1人で見るのか、誰かと一緒なのかも。見逃さないように、空を見上げることを忘れないでいようと強く思う。


宇佐美さんはこんな人…   relevos.12 森 絵都
宇佐美さんは千葉市在住の29歳。風雅な甘味の世界に身を浸し、和菓子のアシスタントの先生をしています。洋菓子やパン作りもお手のもの。日本の四季をこよなく愛しながらも何故かジャニーズ系にもやたらと詳しい、謎の菓子職人と言えるでしょう。



 relevos.14 高井 朋子   「今の私を支えるもの」

 一年間のフランスでの生活を終え日本に帰国してはや一年が経とうとしている。私の夢は菓子職人になる事である。将来自分の店を持ちたいとまでは考えていないが、おいしいものが作れるようになりたい。菓子を極めてみたい。それが私の目標である。
 現場での経験はなかったが本場で勉強してみたかった。もともと日本で通っていた学校がフランスの学校であったため、最終課程をパリ校で受けて、研修生として現場で半年間、働いた。憧れの名店。毎日とても忙しい店で、研修生であってもいろいろな事をさせてもらえ、非常に勉強になったが、全くの無報酬で、“外国人”という立場上研修生以上にはなれない事に、やはり、もっと有利な環境で働く事が今後の自分にとって良いことではないかと思い、帰国を決意した。
 帰国してからの就職活動。どこも新入社員が入って一段落した頃で、有名店に入るのは厳しかった。やっと見つけた個人店舗への面接。入社。経営不振で突然の解雇。そしてフランスでの仕事の話。再び渡仏。しかし、言葉のハンディ。考え方の違い。自分の技術のなさ。自分の想像を遙かに超えたあらゆる壁に負けて帰国。悪い事が続いた。
 再び日本での就職活動。フレンチベースのイタリアンレストランのデザート部門でのアルバイト。やっとの思いで掴んだ今現在の職場である。フレンチベースだけれどもイタリアン。菓子屋ではなくレストラン。そして社員でなくアルバイト。何一つ希望どうりではないと思ったが、“何かを始めてみなければ何も始まらず、職歴がなければフランス帰りは生意気に見られるだけなのだと、就職活動を通して痛いほど感じた。
 今の職場で働き始めて5ヵ月。いくら頑張っても社員になかなかなれないという立場は、研修生の時とそれ程変わっていないではないかと悩むこともある。しかし、収入もある。それなりに責任もやりがいもある。私の求めていたものと決してかけ離れていない、これは確かに私の仕事である。
 最近は研修生だった頃の自分をよく思い出す。パリで人気の名店はいつも客であふれていて、そんな店で働いていることに誇りを持っていた。30人位の職人の中に日本人が数人働いていて、私はそのうちの一人にいろいろな事を教わった。最初はやさしく一から教えてくれた先輩に、時には容赦なく怒鳴られた事もあった。“仕事はすばやく丁寧にかつ常に清潔に”仕事の仕方に非常に厳しい人だったけれども、仕事のおもしろさを教えてくれた人でもあった。今働いていて、ふとした時にその先輩の言葉を思い出す。人に教える立場になって、あの時の先輩の気持ちがわかる気がするし、あの頃必死だった自分が今の自分を支えているような気がする。そしていつかその先輩に認めてもらえるような職人になる事。それが私の目標である。
 次回は、薫:ディチョックさんです。昨年、結婚し、出産した、24歳の一児のカワイイママです。


高井さんはこんな人…   relevos.13 宇佐美 桂子
高井さんと出会ったのは彼女がまだ大学の頃。大学を卒業してすぐにお菓子の勉強をするためにパリへ1人で旅立っていった彼女はいつも真っすぐに前を見て歩いているとても強い人。でも話し始めると、とってもゆっくりでおっとり。私の大切な年下の友達です。



 relevos.15 薫・Dycozk   「記憶」


 記憶を呼び戻すものはいろいろある。音楽とか場所とか、味とか。そういったものはナツメロ、懐かしの味なんて言われていて、ちょっとした人気だ。でもそこで呼び戻される記憶は大抵、初恋のあの人とかそういった特別なものばかりだ。どうやら掘りおこされるには、それに相当するだけの価値がないとだめみたい。
 私に何かを思い出させるもの。それは「空気」だ。歩いていて、料理をしていて、それは突然おとずれる。ああこの空気、この感覚は確かにあの時のものと同じだ、と感じる。ところがその時私が思い出すものは、決して「初めての」とか「懐かしの」でくくられる類のものではないのだ。
ある秋の日に頭に飛び込んできた記憶は小学校に登校している私で、その登校の曲として学校から流れているビバルディの「秋」を聞きながら校門を通り抜け、新しい雑巾について考えている瞬間だった。その時の空気は、正に、あの小学生の私が感じたのと同じだった。また時には皇居を歩いていて柳を見上げた瞬間の空気、を感じる時もあるのだ。別に私の人生を華々しく彩ることもない出来事ばかりだけれど、その分とても具体的だ。思い出したところできゃあっと懐かしんだり人に話したところで花の咲く話題でもない。でもなぜか私をほっとさせるのだ。日常の小さな喜び?忘れていた時にふと見つかった昔使っていた筆箱?そんな感じ。もしくはアルバムには張られることはない誰かが目をつぶってしまったハプニングショット。つまり人前には出ることのない個人的な愉しみなのだ。そしてそれを見つけた時、部屋で一人秘かに笑いながら思いをめぐらす。
 考えてみれば普通の人達(つまり芸能人なんかじゃない私達)にとって、人生ってそんな小さな出来事のつみ重ねなのだ。確かにところどころに、ちょっとしたイベントはあるけれど、何もしないで気がつけば1日が終わったっていう日の方がたくさんある。何でもない日の何でもない事だから、私達はそんな思い出を大切にもしないし、ひどい時は昨夜の夕ごはんだって忘れてしまう。いや、忘れたと思っていても、実は頭の中にしっかりとファイルされているのだ。それがある拍子にポンと目の前に表れるのだ。きっとそれが私に「君はあっという間に今日まで生きてきて、何をしてきたかも、あんまり憶えてないかもしれないけれど、ちゃんといろんな事をして、だから今、君はそこにいるんだよ。」と言って安心させるから、私は余計に嬉しいのだと思う。初めて100点を採ったとか、大学に合格したとか、大事件は言われなくてもいつもそこにあるし、忘れようがないから、私には確かに懐かしいけれど特別なことではない。そっと耳打ちされる小さな思い出こそ、私にとっての特別な思い出なのだ。ちょうどそれを私に教えてくれる空気みたいに。誰もがそれを吸って生活しているけれど、誰として毎日そのことを考える事もなく他のたくさんの事をもっと大切に考えているんだから。
 次回は、飯島双智さん、子供達に英会話を教えている、元気いっぱいの女の子です。


薫さんはこんな人…   relevos.14 高井 朋子
彼女とは大学の頃からの親友。あっと驚くことを突然する超行動派。十代の頃から共に悩みを相談し合ってきた大切な友達。”悩まないより、悩むことを知っている人の方が幸せなのだ”と教えてくれたのは彼女だった。実家は柏。現在は夫、子供とともに東京都在住。




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