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 relevos.1〜5

relevos(リレーエッセイ)は、気ままに連鎖します。
当財団は口をはさめません。


 relevos.1 森田 裕子 「水晶たちの世紀末」

 例えば、私は民族的なものが大好き。色とりどりの民族衣装、珍しい各国の風土料理や品々、昔話に風習、聞いたこともない価値観。そこには自分の知らないことがぎっしりで、世界って広いんだなあ、って思う。こんなにたくさんの価値観があって、それぞれがてんでばらばらに幸せになっていたりする、ってことが、心を自由にしてくれる。今、世界のどこかで誰かがのんびり遊牧している、誰かが祭りを楽しんでいる、と考えるだけでも毎日が嬉しい。
 人生に悩んでいた昔、私はかなりの楽しみ下手だった。人間の営みがすべて無為に思えて、無常の世をはかなんだりすねたり、けっこう忙しかった。幼かったのね、と今は笑ってしまうけど、その時は大マジで、人類の未来に心を痛めた。今、誰かが泣いている、とばかり思っていた。
 その頃私が悩んでいた問題は、今、更に危機的状況にある。なのに笑って暮らしているのだから、ずいぶん呑気な大人に育ったものだ。私を嬉しくさせてくれるものは他にも色々とあるけれど、そのどれもこれもがささやかで、とても私達の未来を助けてくれそうにはない。ではもう諦めたのか、というと決してそうではなくて、諦めない限り可能性はあるもの、最後のひとりになっても諦めないわ、などと今でも思っている。心配するだけじゃ何の足しにもならないとわかった今、心配しないで楽しみながら考えることにしたわけだ。例えば、いいことしてるなあと感心しながらせっけんを使うとか、人と関わるとか、勉強するとか、勉強したことを伝えるとか‥‥例えば、水晶柱を目指してみる、とかね。
 水晶が、精神の働きを増幅させたり記憶したりするらしいということは、ここ数年、不思議好きの人たちに有名な話らしい。かのムー大陸には巨大な水晶の柱があって、人々の心が乱れてそれが砕けた時、大陸は海に沈んだ、という話があるそうだ。
 この間、外国の政治家が、「私達は、一人一人が世界を少しづつ支えている、柱のような存在だ。」と言っていた。なるほど、物質的にも精神的にも、私達は、少しづつではあるけれど、ムーの水晶柱のように、世界を支えているのかもしれない。だとしたら、ひびなんか入らない。丈夫で澄んだ水晶柱になりたい。ちょっとはチカラになれるように、ね。
 今夜は降るような虫の音を聞いた。囲われた土の中でも、木たちは精一杯伸び、虫たちは精一杯鳴いている。私たちだって、ゴツゴツと苦しんだり失敗しながらも、それぞれの歴史の中を、ひとりひとりが歩いている。受け継がれてきた生命を生きている。世界中で。誰もが。スバラシイよね。なんて、愛しい。木も虫も私達も、みんな、いのちはアッパレだ。
 さあてそろそろ、世紀末がやってくる!私達が滅んでも、きっと何か形を変えていのちは蘇るだろうから心配はしていないけど、せっかく生まれてみたこの世界だもの。まだまだ楽しむ為にも、頑張りましょう!ね。水晶柱のみなさん。


森田さんは、こんな人… relevos.0 栗俣佳代子
好奇心旺盛、天真爛漫、万年少女(?)、魚座のB型、30歳のOL森田さんは、サッカーをこよなく愛し、環境問題を論じるパワフルウーマンです。そんな彼女は群ようこの短編小説「無印良女物語」にでてくるアヤコちゃんそっくりです。



 relevos.2 竹中 明子 「布は語る」


 染色作家という仕事にたずさわってから今年で約10年という歳月がたとうとしている。現在、年に2、3回の個展を主に作家活動を行っている。《筒書き捺染》という糯米の粉と糠を混ぜて作った防染糊に染料を計りいれ、それを渋紙を丸めた筒から、絞り出して布地に模様を描くという手法を用いている。この手法は乾燥させ、蒸して水洗いをしてから初めてその冷たい水の中から、生地の上に染めぬかれた鮮やかな色たちが顔を出す。今まで、この世の中に存在しなかったものが誕生するその瞬間に立ち会う喜びを得るために仕事を続けてこれたといっても過言ではないであろう。私の心の中にあった言葉や想いがまた違った形になり、ひとり歩きをはじめる。その作品のひとつひとつは自分さえも予想だにしなかった言葉をも発する。アフリカ綿や、インドシルク、パイナップル布などどいった、天然繊維のその風合や、生地が持つ微妙な生成りの色は、その布が、まだ植物としてその大地にしっかりと根づいていたころを思わせる。まだ何も描かれていないその1枚の布は、その記憶を伝えようと語りかけてくる。そんな私たちを取り巻く自然が叫ぶメッセージを受取り、私の体を通し伝えることができたらと、自然と対話しながら、つねに素直な気持ちで作品に取り組むため下書きをせず、直接生地に染料をおく。自然の法則に逆らわずに流れる水滴のように…。そんな思いがけない色や形は、あるときは深海の神秘、あるときは森の恐怖を感じさせる。心の発生を進化の中でとらえれば、宇宙の真理とつながっていることは、多くの科学者たちも研究していることであり、人間の遺伝子が持つ遠い記憶は私たちが自然の一部であることを忘れてはいけないことを思う。クレーも言っているように見えない世界を見えるようにするのがわたしたちの仕事だと思っている。私が布や染色で表現することに魅了されたのは、10年も染色の仕事をしていながら実はごく最近のことである。つまり先にも述べた布と対話ができるさまを身につけてからである。私は文楽が好きでよく見に行くのだが、物体でしかなかった人形は人形使いの手によって、水気を帯び、命をあたえられ見るものを感動させる。先日見た人間国宝でもある吉田玉男氏の『俊寛』はすばらしく、吉田氏のご高齢であるからこそ湧き出る永年の経験は鬼界ヶ島の流人となり、孤独と悲しみに枯れてゆく『俊寛』の苦悩を体の底から表現されていた。染色を始めて10年間、毎日毎日が発見である。それぞれ体質の違った布を理解してあげることが出来ないと表現する以前のものになってしまう。布を理解するまでにずいぶん時間がかかったように思う。そしてこれからもそれを理解していくと同時に生き方、経験、出会い、今の自分、そして今の時間にしか表現出来ないことをひとつでも多く残していきたいと思っている。自然の一部としてこの地球にあり続ける限り…。


竹中さんは、こんな人… relevos.1 森田裕子
まず思い浮かぶのは、彼女の真っ黒な瞳。そして混沌の彼方に生命の光を見出そうとするような彼女の作品。どちらも深くて、一体どんな精神世界を内包しているのか、覗いてみたくなります。千葉市在住。30歳。おちゃめで照れ屋で可愛い人。



 relevos.3 山田 晋也 「カメラは好奇心拡大マシン」

 最近、原宿や渋谷を歩く若い女の子たちがカメラを手にして街を歩いているのをよく見かけます。写真が手軽でオシャレな趣味になっているようです。一方では芸術写真家を目指し、自分の撮影テーマを求め、一押しするシャッターに、自分の人生をかけている方もいます。私も日々写真を撮って暮らしてはいますが、未だ写真についての蘊蓄は持ち合わせてはいません。何を求めて写真を撮っているのか?この場を借りて考えさせていただこうと思います。
 学生の頃、写真を撮ることが仕事になるなどと意識したことはありませんでしたし、趣味でもありませんでした。また、大学を卒業し、社会人になった時にも、カメラマンになるとは、夢にも思ってはいませんでした。その私が、カメラマンになっているのは、偶然の力としか言えないでしょう。初めは音楽雑誌の編集でした。その時、仕事をしていただいていたカメラマンに簡単な撮影に関して、「教えてあげるから、山田くん、撮りなよ」と言われました。その言葉に従い、写真を撮り始め、撮っているうちにおもしろくなってしまいました。ちょうどその時期、世間はバブル経済、音楽業界はバンドブームでした。ある程度写真が撮れれば、生活に困らない程度の仕事はありそうに思え、思い切って、いきなりフリーのカメラマンになってしまいました。編集の仕事をしながら写真を撮っているうちに、ほんの少しだけ写真が撮れるようになると同時に、一つの雑誌の編集に携わって5年目にさしかかっているところへ、もっといろいろなことに触れたいという想いが生まれていました。
 写真というのは、いろいろな形で仕事にできます。芸術的、絵画的な写真、ニュース報道のための報道写真というのも大きな役割です。その中で私は、どっちつかづの状態にあります。どちらもやりたいというのが正直な気持ちです。それだけ、いろいろな人に会うことができるし、いろいろな体験ができます。写真という道を選ぶまでは、自分の意志でしたが、その先はカメラを手に、走り回っているうちに、何かが見えてくればいいと思っています。視野を広げながら、技術を身につけていければいいのです。その作業を楽しむことが、私にとっての写真なのかもしれません。
 ―ジャンルの音楽、ロックから始まった写真が、ポップス、ジャズ、演歌、クラシック、アイドルというジャンルにまで広がりました。さらに音楽だけでなく、演劇、芸術、風俗、そして自然にまで広がっています。ひとつ新しい分野が広がるごとに、わくわくします。分野に限らず、初めての人、最先端のモノに、正面からレンズを向けることができる時、非常に興奮するのです。興奮しているうちに、気持ちも体も若くなっているように感じることもあります。もちろん収入面など、リスクはありますが、一生わくわくしていけそうだということは、きっといいことだと、それだけは信じていたいと思っています。
 次回は、ミュージシャンのマネージャーの岩瀬恵美子さんです。


山田さんは、こんな人… relevos.2 竹中明子
数年前出版社を退社し、現在フリー音楽カメラマンとして活躍中。熱い瞬間をとらえた彼の写真。独特のポリシーを持った彼の生き方がフィルターを通して語っているようです。神奈川県在32歳。



 relevos.4 岩瀬 恵美子 「音楽はPower」

 今、老若男女、殆んどの人が音楽が生活の一部になっていると思います。何といってもカラオケブームです。ファミリーで小学生から中年そして私達の年代でもカラオケBOXで待っている人達が溢れています。
 私はこの音楽に携わって10年になります。何故ずっと続けてこられたのか、それは音楽のPowerだとずっと信じて疑いません。
 これからこのPowerに魅せられたことについてお話しします。
 遡ること私が高校生の時です。文化祭で必要なポスターを各レコード会社にもらいに行き仕事振りを見て漠然とこういう仕事をしたいと思うようになりました。ただ何となくおもしろうそうだなと思い、短大を卒業して就職をしたのも今となっては音楽が好きだったんだなと思います。この関係の仕事にはついたものの、音楽と自分がどのように係わっていけばよいのかまだはっきりとは決まってはいませんでした。まだ手探り状態でした。ただ音楽に携わっていきたい一心だったのです。今、思えばこの想いも音楽のPowerだと思います。私は今、Liaison(リエゾン)というアーティストのマネージメントをしています。Liaison(リエゾン)とめぐり逢うまで私はいろいろな仕事をしてきました。地味でもとっても大切な著作権の仕事、謀FM局で番組のアシスタント・ミュージカルの制作、一見音楽とは直接ではないにしてもやはりいつでも音楽は近くにいました。この時思ったことは音楽は主役にもなれば名脇役にもなれるということにも気付きはじめたのです。主役だけが全てではありません。一番ピンとくるのは、映画・演劇・ドラマ等のBGMです。その場面の気持ちを効果的に盛り上げてくれます。ただ音楽を聴くという時は主役ですが、名脇役になる時は私達自身が主役になれる場面があるのです。失恋した時、たまたま流れてきた曲の詩が自分の状況にはまった時、自分は悲劇のヒロインとなり、音楽は名脇役のBGMとなるのです。心の状況においては人間を生かすことも殺すこともできるのです。この想いは自分で身を持って悟ることができたのです。苦しい時期は楽しい時よりもいろいろ考えます。自己の存在、生命の尊さ、人間のエゴイズム等、つまり精神世界を考えたのです。苦しい経験が人間を強く、優しく、そして臆病にさせてしまいます。苦しい時私も音楽に助けられた内の一人です。私を生きさせてくれ、元気にさせてくれ、人間を好きにさせてくれて、また人を愛することを教えてくれたのです。そんな時からでしょうか、自然と友人が私に悩みをうちあけてくれるようになりました。私は自分が答えていることを音楽で伝えられてもっとたくさんの人を元気にすることができればと思うようになったのです。その時やはり直接に音のPowerを発信するアーティストのマネージャーになりたいと想い続け、叶ったのです。私はこれからもずっと音のPowerを発していきます。
 次回はCMディレクターの吉村秀一さんです。


えみちゃんは、こんな人… relevos.3 山田晋也
人形町育ちの彼女は30歳。江戸っ子のきっぷの良さが周囲の人間に受け、彼女の行動には、自然とみんなが協力する。現在は、既存の会社に属さずに、ミュージシャンのマネージャーとともにCMなどのキャスティングという仕事もこなすパワフルな女性だ。



 relevos.5 吉村 秀一 「失われた情動を求めて」


最近、若き日にあった“情動”が薄れていくのを感じる。(いきなり年寄り臭い書き出しであるが。)
 私が言う“情動”とは、“情熱”というものとは違う。情熱ということで言えば、今、仕事(私の職業は、TV−CMの企画・演出)は面白いと思えるし、情熱はある。“情動”とはそういった意識に近い感情ではなく、様々な出来事や、人、物、言葉といったものに対する無意識の反応から起こる、思考や感情の動きであり、それが、ここ数年で鈍ってきているように思えるのだ。
 先日、捜し物をしているときに、数年前(入社当時)に自分が書いたなぐり書きの文章が幾つか出てきた。そこには、その“情動”と呼べるべきものの痕跡をみることが出来た、と同時に今の自分からそれが失われつつあるという認識をもたらされた。その一つは以下のようなものだった。

                     〜
 名刺、それはいつも私に嫌悪感と恐怖感を起こさせる。
 (その文の下に自分の名刺が貼られている。)
 これが私の名刺である。
 But,this is not I!
 それは“私の名刺”であって“私自身”ではないはずであるのに、
 名刺を差し出す時、(Producution manager 吉村秀一)は、
 そのままイコール私自身として規定されてしまう。
                   (中略)
 私は“ディレクター”になりたいのではなく、ディレクションを“したい”
 のである。
 (野球においてのピッチャーの欲望は、ピッチングすることにあり、
 ピッチャーと呼ばれることではないはず。)<BR>
 私が望むのは、行為者の“名”ではなく、行為そのものと接続されることだ。
                  (以下省略)
                     〜

 文章の稚拙さは今も昔も変わらずといったところだ。たぶん彼(何となく第三者的な気持ちである)が感じていたのは、「肩書きや団体などといったものに所有し形成される“個”ではなく、個人の行為にこそ形成される“個”を目指すべきである。」ということであったろう。
 今現在、“私がディレクターである”ことと、“私がディレクションする”こととは、見かけ上は同じようなものであるかもしれない。しかし、その意識の差異が自分自身に与えるものは全く異なるものであることを“彼”は少なからず、感じていたのだと思う。
 こういったことは、単なるまだ青い若者の過剰な自意識に過ぎないとも思える。しかし、様々な物事や言葉に反応が、今よりも俊敏であったことは確かだし、何よりも、自分に対して、生きるということに対して倫理的だったように思う。
 このまま年老いてはいられない。取り戻そう“情動”を。どうやって?方法?きっとあるはず。自分を動かせ!自分を踊らせろ!取り戻そう“情動を”。もっとよく生きるために。
 最後に。このような自己反省の場を与えてくれた『PROCESO』に感謝いたします。
 次号は、空間プランナーの深代達也さんです。


吉村さんは、こんな人… relevos.4 岩瀬恵美子
吉村さんは最近CMディレクターになり、15秒という短い時間でスポンサーのニーズと自分の想いのギャップの中で闘っている。そこから生まれてくるセンスの良さは認めざるをえません。一緒に何かを創りたいと思わせる人。32歳、世田谷区在住。




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