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Home > リレーエッセイ > relevos.56〜60

 relevos.56〜60

relevos(リレーエッセイ)は、気ままに連鎖します。
当財団は口をはさめません。


 relevos.56 久保田 倫子   「書きたいこと」

 今、無人島に行くとして、何を持っていくかと尋ねられたら、私は、迷わず『本』と答えるだろう。それくらい、私の生活に『本』と言うものは欠かせないものになっているのだ。
 小さい頃から、母親の影響で本を読む習慣ができ、今では、1日5分でもいいから、とにかく何か読まないと、安心できないようになってしまった。
 それが乗じて、書くことにも興味を持つようになってきたのも、私の中では、至極自然な事で、それが私の一部となった。
 自分の感じていること、思っていることを、なにかしらの文章にして表現するようになってきたのは、4年前(何を間違えたか理系の大学に進学してしまったのだが)大学に入学し、そこでサークルに入り、そこのホームページ上で日記を書かせてもらえることになったことがきっかけだった。
 そこでは、自分の思っていることを、自由気ままに、思うように書き込んでいった。そうしているうちに、ネタ帳ならぬ、小さい、葉書き大のノートを持ち歩くようになり、そのとき思ったこと、感じたことを、詩ともエッセイともつかないようなつたない文章で書きしたためるようになっていった。
 でも、ある日、全く書きたいことが書けなくなってしまったのだ。書きたいことは、何を見ても、何をしていても、ふつふつと、とめどなく浮かんでは消えていくと言うのに、なぜか、パソコンの前に座って、いざ書こうとすると、その考えていたことは、全て消えてなくなって、頭の中が真っ白になってしまうのだ。そういうときでも、書きたいと思ってしまい、その日の出来事や何かを書き綴るのだが、面白みのない、ただの私個人の日常でしかなく、薄っぺらいものにしかならず、いつしか、書くことをやめてしまっていた。
 今になって思えば、書けなくなった理由は簡単だ。『読み手』がいるのだと言うことを、自分自身が、意識し始めてしまったからだ。パソコンの向こう側に座っている、私の日記を読んでいる人たちのことを、意識するようになり、書くことができなくなってしまったのだ。
 書いて表現することの面白さを知って、エッセイのようなものを書くようになり、少なからず、物を書く職業に憧れを抱いていた私は、読み手という大きな壁にぶち当たって、あっさりと、負けを認め、しっぽを巻いて逃げ出してしまったのだ。
 これは、物を書いて表現していこうと言う者にとっては、致命的だ。物書きになんてなれない。
 これ以降、私は、公開日記なるものを、作ってはまた書けなくなり、閉鎖して、また書きたくなって再開する・・・。といった、いたちごっこのような行為を繰り返している。
 今では、2つのブログを掛け持ちしており、2重生活のようなことをするようになってしまった。
 それでも、私は、気がつくと、またパソコンの前に居る。結局は、逃れられないのだろう。だから私は、書くのが嫌になるほど書いてやるぞ!!例え、読む意味が無いような内容でも、面白さが伝わらなくても、自分の気がすむまで、それがなんの役に立つかどうかはわからないが、やれるところまで・・・。
 次回は、友人の石澤道康くんです。


久保田さんは、こんな人… relevos.55 今井 朝子
保育園からの友達で家も近くよく遊んでいました。私と同じくらい方言を使ってくれるのでとっても話しやすく、和ませてくれる人です。今は地元新潟を離れ大学で勉強に励んでいます。(たぶんね。)もちろん私の好きな人のひとりです。



 relevos.57 石澤 通康   「字の美学」


 最近まで気付かなかったことだけど、ボクは文章を「書く」ことが出来なくなっている。携帯電話のメールとか、今もこうしてパソコンのキーボードを叩くだけ。どんな言語表現も、変わらずにキーを打てば表現できてしまう。それはそれで今後ますます重要なことだけれども、同時に危機感を感じなければいけないのかもしれない。
それと対極にあるのが、書くことを追求した習字である。習字における「字」とは、その紙の中に活き続ける生き物である。すなわち字を書くことで、字の「時」も表現していることになる。文字に命を吹き込むこと、言い換えると、活きた文字を生み出すこと、これをボクは「書く」ことだと思っている。
なぜボクが書けなくなることに危機感を感じているのか。誰にでも一度は経験のある「恋」を例にあげれば、恋文を書けなくなることは人生において生涯の伴侶を永遠に失ってしまう危険がある。これは一大事である!が、今は関係ない。ボクの場合、文字はポーカーフェイスにボクを見つめるもう一人のボクなのだ。簡単に言えば、日記である。日記に自分の過去の感情所業を洗いざらいに書き記すことで、過去の至らない自分と常に比較しながら、昨日よりは、去年よりはとより良いと思える自分を模索することが出来るのだ。未来のボクを無視して、あの頃のボクはあんな阿呆なことをしておる。阿呆なボクは確かに滑稽で、ピエロのようなことも確かにあるのだが、そこに存在しない未来のボクにとっては常に無表情である。その無の視線に背筋が凍り、ピンと気持ちが張り詰める。そのボクと向き合って、果たして自分が同一人物なのか、はたまた別人格になっているのかを考えることが、割と重要だと最近思っている。こんなことを書くと、まるで自分の反省文のようだが、もちろん心に残った思い出なども日記には記すことが出来、10年前の文章に胸が熱くなることもあった。
しかし、情報とはこの世界が生まれた時から常に、「過去」であった。そこに記された瞬間にその情報は過去のものとなる。日記がどんなに自分の役に立つものでも、過去はそこにあり続ける湯飲み茶碗のようなもので、生きているとはいえない。だから、「書く」ことが尊いとボクは思っている。始めに記したが、字を書くことは、字の時を表し、命を吹き込むことである。情報が脳にアクセスして我々の記憶の引出しから感動エピソードを拾ってこようとも、周りと共有できるのはせいぜい貰い泣き程度である。だが命を吹き込んだ字は違う。ありのままの姿が命であり、過去と未来の想いを繋ぐエネルギーを秘めているのだ。そのエネルギーをもつ自筆の文章と、こうしてキーを打ち、情報として枠に収まる文章とでは、満開の桜が姦しくお喋りするかしないかくらいの差があ
る。
満開の桜が姦しくお喋りをしたいなら、ありのままを美しく表現したい。永遠に美しく。有体に言うならば、ボクの美学だったりする。


石澤さんは、こんな人… relevos.56 久保田 倫子
彼とは、同じ大学で、地域のボランティア仲間って感じですかね?彼は感受性が豊かで、歌うことが大好きな人ですが、なかなかつかみ所の無い人です。でも、彼のキラリと光るセンスは素晴らしいものがあると思います。
っということで、よろしくお願いします。



 relevos.58 小池 真美   「十人十色」

 大学に入って初めて長期アルバイトを始めて約1年半。接客という仕事を通じてたくさんの人に出会ってきたけど、ほんと世の中にはいろんな人がいるなあとしみじみ思う時がある。私の仕事は衣料品店での接客である。お客さんの買った物を見てはたまにその人の家庭を勝手に想像するときがある。
 老夫婦が1組、ベビー用品を大量に購入。
私(きっと孫にあげるんだろうな。)
 黒いスーツの女性がストッキングを購入。
私(就活中かなぁ。忙しそう。)
 サラリーマンが1人来店。
 「すみません、黒いスパッツを15枚くらい欲しいんですけど。長州小力が穿いてるみたいな。」
私(あー、忘年会の出し物かぁ。がんばれサラリーマン。)
 こんな感じで想像しているが、たまに不思議なお客さんもいたりする。ストッキングを大量に購入していったサラリーマン風の男性、婦人下着を購入した全身白で統一したすこしあやしげな男性(このとき店の警備員さんがマークしてた)や黄ばんだスウェットパンツの裾上げを依頼してきたおばさん(どうやら一年間穿き続けて一回も洗濯してないらしい)なんてこともあった。
 店という場所は来る人を拒まないから、たまに嫌な思いをするときもある。しばらく落ち込んでしまうときもあったりする。でもそれ以上に感じの良いお客さんはたくさんいる。品物を渡した時に
 「ご丁寧にありがとう。」
と言ってもらえたり、ベビーカーに乗ってる赤ちゃんがバイバイしてきてくれた時など些細なことですごく嬉しくなる。私に嫌味を言う人も感謝をしていく人もみんな同じヒトという生き物なのだ。様々な反応があるのは当たり前のことだけどなんか不思議。それぞれの反応によって落ち込んだり元気になったりする。
 多種多様の人間がお互いに作用し合いつながっている。たくさんの人に出会えば出会うほど、人は成長していく。それと同時に相手を成長させていく。みんなが同じようなことを考えていてはつまらない。誰も成長していかない。この地球上にはたくさんの人が生きているがその分だけ考え方も様々である。そしてその分だけ生活の様式が存在し、文化が生まれる。それぞれの文化が複雑に絡み合い現在の形になっている。そして、このことが私たちの考えに影響を与えている。元々人が作り出した文化が様々な人によって変化していき、逆に人に影響を与えている。人々はお互いに目に見えないところでも確実につながっている。
 私は時々、電車の窓から外の家々を眺めては、
 「ここから見える家の一つ一つに人が住んでいて、生活してるんだなぁ。」
と思う時がある。家の一つ一つに人間のドラマが展開している。同じようにたまたま電車の同じ車両に乗り合わせた人たちも電車を降りたらそれぞれの目的地へ向かっていく。その人々がどこへ向かい、どんな生活をしているのかは全く知らないけど、きっとみんなどこかでつながっているはず。
 この広い世の中で、いろんな考えがあるということをもっと理解し、みんなで成長できるといいな。
 次は高校時代のお友達、長崎絵里ちゃんです。


小池さんは、こんな人… relevos.57 石澤 通康
次にバトンをキャッチしてくれたのはボクの可愛いサークルの後輩、小池真美さんです。お喋りとお酒の好きな彼女ですが、長野では演劇部に所属し、上京して合唱をやり始めて3年目です。彼女が今思うことは?ご期待ください。



 relevos.59 長崎 絵里   「描くこと、見ること」

 中学時代、放課後になると、ひとりきりで絵を描いていた。
 美術部はもともと出席にうるさくはなかった。それでも一年生の頃は熱心に活動していた三年の先輩たちがいて、二年生や同学年の部員たちも毎日ちゃんと顔を出していた。
 けれど三年生が引退すると、美術室はどんどん静かになっていった。
 もともと不真面目だった二年生は、お目付役が消えたことですっかり姿を消し、それを見た同級生たちも、サボることの方が多くなって……。最終的には、毎日やってくるのは私だけ、ということになった。
 準備室から持ってきたワインの空き瓶を、目の前にどん、と置く。スケッチブックを広げる。開け放した窓からは、吹奏楽部のチューニングの音と、サッカー部の掛け声だけが遠く聞こえている。B4の鉛筆と練り消しゴムを出して、私はただぼんやりとクロッキーをする。
 その頃、私がまともに描くことができたのは、静物だけだった。風景や人物は、どこをどこまで描いたらいいのか分からなかったからだ。

 【描く】ことは、【見る】ことだ。
 ……同じように絵を描く母が、いつだかそう言ったことがあった。それを聞いて、私は何か、すとん、と腑に落ちた。
 何かに心を留め、じっと見つめる。見つめて、その奥底にあるものを探る。
それを飲み下して、指先から吐き出していく。それが、【描く】ということなのだ、と。

 ひとりでワインの空き瓶に向き合っていた、あの頃。
 私は多分、疲れていたんだと思う。
 クラスメイトとの付き合いや、幼なじみたちとの乖離に。

 まだ自分の居場所がわからない、かといって抜け出すこともできない、世の中というものに。
 人も、景色も、その頃の私には速く遠すぎて、目で追うことができなかった。だから、そこにあり、けれど決して動かないものだけを見ていたのだろう。
 動かず、そばにあって、決して裏切らないものだけを。

 三年生になると、顧問が替わり、新入部員も入って、美術部はにわかに活気づいた。皆でひとつの石膏像を囲んでクロッキーをしたり、文化祭に向けて巨大なちぎり絵やステンドグラスを作ったりした。部長になっていた私は、その準備に随分駆け回り、けれどちっとも辛くなかった。 
 そして高校に進学してからは、演劇なんてものにさえ、足をつっこむことになる。

 けれどきっと、そうして人と向き合えるようになったのは、あのひとりの時間があったからだと今は思う。
 たったひとり、自分しかいない世界。ただそれだけを見つめ、描き続けた時間。それは私を癒してくれ、同時に、その狭さと寂しさも教えてくれた。

 高校の美術の授業で、人物のデッサンをする機会があった。
 モデルは、離れたクラスの話したことのない女の子。それでも私は少し怖かった。この人を描けるのか、見つめることができるのか。
 でも、それは杞憂だった。鉛筆はどこまでも滑って、授業だということを忘れるくらいのめりこんで描き続けた。
 その絵を描き終えたとき、なんだか私はほっとしたのを覚えている。 
 ああ、もう大丈夫だ、と。
 
 今はもう、絵を描くことから遠ざかってしまったけれど、その時始めた演劇は大学まで続き、それが今回のバトンを受け、渡す縁を与えてくれた。ありがたいことです。
 
 次のバトンを半ば強引に(笑)渡すのは、大学時代の相方・貫洞千夏さんです。


長崎さんは、こんな人… relevos.58 小池 真美
高校の時に部活で知り合った絵里ちゃん、美人と評判でした。何事にも一生懸命ですごくしっかりしています。今は立派に社会人として働いていることでしょう。今でもあの口ぐせはあるのかな?



 relevos.60 須賀 正隆   「不安について」


 世間が不安に包まれていてなんとなく混沌としている。その理由はどうしてかと言えば、恐らくそれらしい情報は日々耳に入ってくる。世界的には国際情勢、環境破壊、異常気象、国内では所得格差、いじめ、犯罪の低年齢化、老人介護問題、その他様々な問題が嫌って程山盛りで、ニュースなどで耳にしない日はありません。それらはそれで今混沌としている説明になるのだろうけど、どこか納得できない。人に聞いた話ですが、年間自殺者の数が3万人強で年間交通事故死者の数が7000人くらいだそうです。交通事故死者よりも多い、それも4,5倍もというのは非常に驚かされました。
 私もそういった不安につかっている感じが、不満ですがある訳です。
 不安な要素はたくさんあって、でもだからってそれらの理由で不安になる事にどこか納得が出来ない。何故かというと、昔からその時代その時代において、不安になる要素をあげれば、現在と同様かそれ以上にみつける事は出来たはずだと思うからです。国際情勢だって、もっと緊迫していた事はあったし、実際に戦争だってあった。所得格差どころか、今よりも差別は激しかったはずだし、病気に対する恐怖も今よりもずっと大きかったと思います。
 ではなぜ今が得に不安と感じるのか?これは現代に生きているので、過去の不安を実感として感じる事は出来ないのだけど、現代の不安の方が、解決の難しい感じがしてしまうのは、自分勝手な想像だけではない気がする。
 過去の「不安」は歴史として情報として残っていて、いつでもそれらを文書やインターネットで参照する事が出来る。それによって、自分が体験していない事でも、人間共通の経験として重ねて、学習して、過去よりもより良い選択しようと気をつける事が出来る。
 書店には「失敗しない〜」などあらゆるHow to本があって、それは結局「失敗しない人生を生きましょう」という事につながると思う。ちなみに私はこの手の本は苦手意識があってあまり手を出さない。
 過去よりも現在はHow toがあふれている。それは過去と比べて失敗しない方法があふれているという事なのに、なぜ不安が増しているように感じるのだろうか? それは一つには、過去よりも道具や職業や社会の仕組みが細分化している分、過去に存在していなかった物に対応する知識、行動を必要としているという事はあるだろう。それは発展や進歩のはずなのに、その分不安が多くなるのだとしたら、何の為の発展、進歩なんだろう?便利になってその分不安になるというのは矛盾を感じてしまう。
 私は新しい電化製品や以前にはなかった道具や技術などに興味をひかれる方だから、そうした進化をあまり否定したくはないが、それらが不安を増長しているのだろうか?
 ネット社会と言われて久しい現在は、過去の詳しい情報が個人的に簡単に手に入る。そうした便利さは、例えば先ほどの自殺者の数や交通事故死者の数など調べようと思えば簡単にできるし、とても便利だと思います。
 その分細かな選択を情報に頼って判断しようと思えば、これも際限なく調べる事が出来る。便利になったけど、細かい選択を迫られているようなプレッシャーがある。それはもし失敗したとして、その前例がちゃんと調べれば気づいていたはずなのに、それを怠った結果による失敗なのだ。という脅迫観念を感じてしまうのです。私がHow to本を苦手だと感じるのはそういった拒否反応なのです。
「情報はあるんだから、あとは自分の勉強如何なんだぞ」っていう、これをプレッシャーだと感じるのは私だけでしょうか?
 多分本当は「確固たる自分」を持ってそれらの情報を取捨選択すればいいのだろうけど、自分はその心構えがまだまだ出来ていない。「確固たる自分」を持てないというのはそれはそれで問題であるのだけど、漠然とした不安を感じる大きな原因は他にもあるような気がする。
 過去には、「生き残る事」が生活して行く上での目的の半分くらいを占めていたのではないでしょうか?どうやって生き残ろうか?という問いと人は向かいあってきたと思います。現在はと言うと、医学の進歩で若いうちから病気などで命を落とす割合が格段に減りました。また、実際肉親が亡くなるとしてもその場所は病院のベッドで、「死」が生活の中というよりは、やはり特殊な状況になっています。生活の中で「死」を意識しないと、生活する上で大きく思考を占めているのは「よりよい人生」、「うまく生きる」という事になるのだと思います。その思考はもちろん過去にもあったのですが、少なくとも以前は、生きていれば、人生の目標の半分くらいは達成出来ていたのではないでしょうか?
 生きてさえいれば、とりあえずの達成感を得られていたのに、そんな事は自慢出来る事ではなくてあまりにも当たり前になってしまった。
 現在所得格差と言ったって、一部の不幸な境遇で無い限り、食べるに困ると言う事はないのではないでしょう。そういった境遇は以前からある訳だし、自殺者の増加はそれ以外の環境の人の増加だから、やはり他に原因があるのでしょう。
本当は特殊ではない「死」が、普段の思考の隅に追いやられ、「死」が生活の中になくなってきている。「死」が隣り合わせなら、どう死なないかという事が思考の中でおおきく占める。
 「死」を考えなくてもよい世界は一見幸せに思えるけど、それを考えていた時にはとりあえず生きてさえいれば、ある程度の達成感を得られていたのに、その達成感、充実感が過去よりも、薄くなっているのではと思うのです。

 最近読んだ本で印象深かった部分があります。
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 冬のアンデス山脈で遭難し、ピッケルもザイルも食料も持たずに、標高4500メートル、氷点下40度、峠を、絶壁を、足も膝も手も血まみれにして渡り歩く。一度横になったが最後、雪のベッドから起き上がる事は出来ない。寒気が秒1秒と身体を硬化させ、1分でも休息を余分にとれば、死んでしまった筋肉をふたたび動かして起き上がらなければならない。2,3,4日と歩き続け、もう睡眠だけしか望まない。凍傷で腫れ上がった足が入るように靴の甲をナイフで切り開く。
 あまりにも苦しくて絶望的の中歩く勇気をもつには、この状態を考えてははならなかった。頭ではすっかりあきらめていて、遠くまで歩こうとは思わない。ただ一歩一歩踏み出す。弱った心臓はたびたび躊躇し、また打ち続ける。自分の心臓にしがみつき呼びかける・・・。サン・テグジュペリ「人間の土地」からの要約です。
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「生き残る」事は、なんて力強くすばらしいのだ、と「死」と離れた生活をしている僕でも思ってしまいます。
次回後上智紀さんを紹介します。


須賀さんは、こんな人… relevos.0 栗俣 佳代子
10代の頃の純粋さを今もなくさずに持っているまっすぐな人です。とても澄んだ目をした人です。どうやって生きていると彼のようになるのだろうと思っていた疑問が、エッセイを読んで少し納得できました。




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