relevos.61 後上 智紀 「蚊の羽は折り畳めない」 |
「世界」のまん中には何がある?というなぞなぞがあります。答えは「蚊」。「せかい」のまん中は「か」、よって「蚊」がいるわけです。 世界は各々、自分自身が中心でかたち作られている中、答えは「蚊」なのです。この世界から見れば人間ひとりひとりは蚊のようなちっぽけな存在なのだという、ちょっとした真理らしきものが見え隠れする、おもしろいなぞなぞであると思います。人間と掛けまして蚊と解きます。そのこころは、どちらも生き血が必要です。全然うまくありません。
さて、先日折り畳み式携帯電話(私はケータイとは書きません。携帯電話が普及する前から存在している携帯モノ《ラジオや灰皿など》に対して失礼に思うのです。電話機だけに「携帯」の称号を使わせるのには納得出来ません。しかも漢字でなくカタカナで表され、さらに「ケイタイ」ではなく「ケータイ」などと軽薄な印象を与えるようにしているのです。なんてファッション重視なんでしょう!)について話す機会があり、折り畳み式が好きではない理由を私は述べました。 まずは、女性が化粧をする際に使うコンパクトに似ているので、男性が持つには不似合いなのではないか、という事。そして、開閉時の「カチャ」という音がどうも気になるという事。ただでさえ電話という道具はうるさい(話すにしろ、聞くにしろ、着信音にしろ)ので「使いますよ」「使い終わりましたよ」の時くらい静かにしてほしいのです。まあ、それほど耳障りな音ではありません。当然、各携帯電話会社メーカーさんの技術者の方々が切磋琢磨してあのインターフェイスを築いたわけですから、不快であるわけがないのです。しかし私は嫌なのです。開閉時の音は不必要であるべきです。私はそう信じます。私が開発に携わったならば「カチャ」音をなくすよう努めます。マニフェストに掲げます(大袈裟ジョーク)。他にも折り畳み式の嫌なところはあります。それは、開閉するための軸になっている部分(蝶番部)が華奢で壊れそうな点です。過剰な機構は無いに越した事はない、というのが私の持論です。例えば、車のリトラクタブルライト(所謂、隠しライト)、自転車のサスペンション、ジャンパーなどのダブルジッパーなど、便利そうなものだったり、一見かっこう良かったりしますが、手入れが必要であったり、美しくなかったり、弱点になったりするのです(あと機構ではありませんが、納豆かき混ぜ棒は愚の骨頂!)。シンプルイズベストというように、単純なものは美しさが長持ちすると思うのです(無精者なもので)。そういった事から、私は携帯電話はシンプルなストレートタイプがいいのです。そんな事を話し合っているうちの4人中3人が、折り畳み式の電話機では無かったのです。今ではほとんどの人が折り畳み式である中、「人と違っていたい」といった天の邪鬼が揃っていたのです。少数派を自認していた私自身はこの時は多数派となってしまったのです。驚きました。自分らしい選択だと思っていた事が、たんなる相対的なものの見方のひとつであったわけで、自身の視野の狭さが招いたパラドクスとなってしまったのです。 決められたものの中から選択することでは、自分らしさなんて表現できないのではないか。しかも、自己がしっかりとした方向を持っていなければ選択すらできない。ああ、ジレンマ。ジレンマだらけのこの世界。 それでは携帯電話を持たない人にとっては、どうでしょう。自分らしい電話機という選択はありません。それを持たないという表現になっているのでしょうか。確かにこれだけ普及している中、「持たない」というのはそれなりに強い意志を感じます。そんな事全く考えていないという人もいるでしょうし、その通り、意識的に私は電話機を持ち歩きません、という人もいるでしょう。 そうです、そうなのです。持っていようが持っていまいが、選択しようがしまいが、人それぞれで、そこに表現とか自分らしさなどを見い出すべきか、出さざるべきかなんて考えている事が、考えている事こそが意識過剰な馬鹿者なのだと気づかされるのです。選択できる自由があることがすばらしく思えてきました。さあ、好きなように選びましょう。「みんな違って、みんないい」にも通ずるなあ。金子みすずありがとう。 様々な局面で相対的に物事を捉えれば、とりあえずはいいですよね。だからこのような、考えなくていい事を考えてみても、まあまたそれもいいという事で。「糠に釘」的になってしまいましたが、ご勘弁を。
そして私は壊れてもいない携帯電話の機種変更をしてみたのです。例の折り畳み式に。もちろん世界は大きくは変わりません。内的変化は多少ありました。私が購入した電話機が「カチャ」と音がしないタイプのものだったのです。使って初めて気づいた自分に驚きでした。世界のまん中にいる蚊の羽音がしないほどの驚きです(全然うまくありません)。
後上さんは、こんな人… relevos.60 須賀
正隆 10年以上前にバイト先で知り合って、現在も同じ職場で働いています。独特の感性で、重大問題をダジャレと物まねとイラスト、その他でいなしまくる才能の持ち主です。それは時にイラっときますが・・・・嫉妬ですね。
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relevos.62 中沢 隆人 「ドンマイ俺」 |
ある確かな筋からの情報で500ミリリットルの水が0.5秒で沸く電気ポットがあるんだよ本当なのっつうから嘘だーって言ったら本当なのあるのっつうからだって0.5秒っていったら電源入れた瞬間に沸き上がっちゃう位のスピードって事だよそんなのある訳ないよって言ったらあるもん本当にあるんだよだって電気入れてから1・2・3・4・5ってその位で沸くんだよっつうからそれって5秒じゃんって言ったらへっ?あはっ?あっ間違えちゃった5秒位そうだいたいその位で沸くの本当だもんっつうから何だそうかそうか何か可笑しいと思ったんだ0.5秒ってそりゃ速過ぎでしょ0.5は無いよ5秒っ5秒ねってでも5秒でも凄いね速いねって言ったらだから買ったほうが良いよ私も買おうかなって思ってるのよくない?朝とか時間無いじゃんそのポットならすぐコーヒーとかお茶とか飲めるでしょ買ったほうがいいよ絶対っつうからまーそうだねでも本当に5秒?5秒ってのも本当かなーって言ったら本当に本当にマジ嘘じゃないからっつって。 奴とそんな話をした事自体忘れていた俺はその日も朝6時に起きて電気ポットで沸かしたお湯でコーヒーを飲みながらタバコを吸いながら今日の天気はどうかなって窓から外を見てまた曇りかー気が乗らねーって思いながらソファに腰下ろしてコーヒータバココーヒータバコってしてたらだんだんだんだん身も心も空模様もどんどんどんどん乗らねー感じに思えて来たから俺はその日仕事をバックレる事にした。 予定外に一日が暇になってどうしようかなーと思ってとりあえず、も一杯コーヒーでも飲もうかと思って持ち上げた電気ポットは空っぽで水を入れて沸くのを待つ間ふいに例のポット話を思い出してそれが頭から離れなくなった。今使っているポットに特に不満がある訳ではないけど本当に5秒で沸くならこんな待ち時間も無くなる訳で飲みたいと思った時スッとコーヒーが飲める。それって良いかもしんない。そんな事をボーっと考えていたらカーテン開けたままの窓から一筋の光が差し込んで来てパッと部屋が明るくなって空も急速に晴れ渡って来て、便乗して俺の気分も何だか乗って来て誘われる様に例のポット目差し俺は家を出た。 でも何故今日急にあのポットの話を思い出したのか、電気ポットなんて毎日使っているのに。それは、暇だから?もしいつもの様に仕事に行っていたらまずこんな事は思い出さない。今のこの暇と言うものが日々の生活の中で見過ごしてしまう事に気付かせてくれたのではないだろうか、そしてこのプロセスって、さながら古代ギリシアの哲学者の様じゃないのか? そんな妄想も新宿に差し掛かってブッ飛んだ。騙された。街は極寒だった。火の付けられない煙草くわえて気が付けば泣くと同時に笑っていた。今年一番寒かった。北風がビュンビュンでハリケーンみたいで燦燦の太陽は張りぼてみたいだった。バイクで来るんじゃなかった。せめて電車にしとくんだった。やっぱ家でじっとしていれば良かった。気が狂いそうな寒さの中で俺は北風と太陽に玩ばれる旅人の童話を思い出していた。行き交う人々は皆揃って物凄く苦い物を食べている様な面して空を睨んで歩いていた。人は誰もが旅の途中。だからドンマイ俺ガッデム。 開店直後の東急ハンズに辿り着いてもボクの心のやわらかい場所がまだ凍りついていて極限状態の恨みの行き先を探して内心ギラギラのチンピラ気分でぶらついていたら3Fに例のポットはあっさりあった。しかし奴の言っていた様な歌い文句は見つからず、小さな説明書を見てもその性能は他のポットと大差なく、結局奴の言っていた事はガセネタだったという事が明らかになり俺は一言。「やっぱなー」っと声に出して呟いた。 元々奴はどこかおっちょこちょいでトンチンカンな所がある奴で、それがある意味持ち味にもなっていて、適当な嘘をつかれても自然とこっちが何となく許してしまうという得な体質の持ち主で、見え見えの嘘泣きも奴がやると説得力がある。 真実を知った俺はけっこうさっぱりとした気分になり、恨みの山もいつのまにかどこかへ行ってしまっていて、今日一日を絵を描いたりTVを見たりしてより良い物にしたいと思い直して、もう帰ろうとしたけど、その為にはまた北風と太陽と旅人にならなければならず。嫌だなー気が引けると、用を足し出て来た便所の近くにある窓から外を窺うと空は相変わらずの空、しかしどうも風が止んだ気配がありTシャツ姿で歩く人なんかもいる。東急ハンズと新宿駅南口方面を結ぶ遊歩道にズラッと行列が出来ているのが見える。 何を朝からそんなゾロゾロ並んでいるのか?寒く無いのか?風が止んだから平気なのか?皆暇なのか?しばらく観察していると俺の中にピンと来るものがあった。それは近頃この付近にオープンした外資系ドーナッツ屋が結構美味いだか何だかで女子供を中心に評判だと言うニュースを見て、そんなに美味いなら自分も食べてみたいと思った事で。別に並ぶつもりはないけど帰りがてらに店の様子くらいは見ておくか、良い機会だし、ドーナッツ好きだし。風が止んで、今俺にしか分からない風が、吹き始めた。追い風と言う名の風がたった今…。俺は調子に乗っていた。 遊歩道に一番近い2F出入り口のオートドアーから意気揚々一歩踏み出して俺はまた騙された事を知った。甘かった。バカだった。相変わらずのハリケーンだった。顔を歪めて凍り付いた正にその時、ドスン音と共に1メートルほど前方に何かが落ちて来た。一瞬遅れて何かの近くにまた別の何かが落ちて来たドスン音。直後女の悲鳴が聞こえて訳が分からないまま俺は前方の落下物を注視した。それは女子と男子の高校生みたいだった。
愛で空が落ちてくる
「明日さー、すげー風強いんだって、何かハリケーン並みだって、そんで今年一番寒くなるんだって、良純が言ってた。」 「嘘?マジ?ずっと暖かかったのに今年。寒いの嫌だなー。」 「ねっよりによって、明日。」 夜の公園。ブランコに腰掛けた影2つ。 「あのさー、ある確かな筋からの情報なんだけど。」 「又?」 「又?って何よ、今度は天気の話なんだけど。聞きたい?」 「はっ?話の流れおかしくない?そもそもその確かな筋って何なんだよ、この前のポットのやつだってさー」 「あーーーあの話?あれはガセだったねー。でも今度のは凄いの、本当だよ。」 「本当かよ?それに凄いか凄くないかとかそう言う問題じゃなくて…」 「実はね、今よく地球温暖化とかエルニーニョとか言って氷が溶けて大変だとか言ってんじゃん。それってそもそも根本的に問題を履き違えててね。地球が暖かくなって来てるのってのは正常な地球の変化なの。それを人がどうにかしようとかって騒ぐのは完全に人の奢りなんだよね。大きな流れって言うか。昔は恐竜が地球を支配してでも滅びて、今は人が支配してる、それも必ずいつかは終わるの。諸行無常盛者必衰って事なんだけど、そんなことみんな知ってると思うんだけど、それを忘れちゃってる人とかがそういう地球保護みたいな事唱って思い上がってて。季節が巡るのを止めようったって無理じゃん。いくら夏が好きでも秋になって冬になって、文句言いながらその変化を受け入れてより良く生活しようとか楽しもうとかしてる訳じゃん。人もそういう大きな流れの一部で、人だけが頭良くて何でも思い通りに出来ると思ったら大間違いだって、つまり我々は今宇宙の地球の逆らい切れない変化の中にいるって事なんだよね。」 「でっ?それって天気の話なの?我々はって」 「へっ?あはっ?天気の話だよ。喋ってる間に何話してるか段々分かんなくなってきちゃったけど。でもそんな感じの事。ねっ?凄いでしょ?」 「んー、スケールは何かデカイけどさー、何か虚しくなってきちゃうね、そういうデカ過ぎる話って。」 「そう?私は何か気が楽になった様な気がしたけど。」 突然一筋の涙が女子の頬を伝う。ものの哀れの本当の意味がそこにあるとそれを見ながら男子は思う。時々勝手に出て来て特に意味も無いからっと女子は何時も誤魔化すけど。静かに泣く女子の謎めいた美しさに今日も男子は胸キュンする。 「俺。本当に女子と出会えて良かった。」 「フフフ。いきなり何それー?キモー。」 照れているのか拗ねているのか、そっぽを向いて土を蹴る男子をまじまじと見ながら女子は呆れるくらいに微笑ましい気持ちになる。 私が煙草吸ってる事もハッパ吸った事がある事も町田でブルセラやってた事も伊勢佐木町で立ちんぼやってた事も見せ泣きとリアル泣きと両方出来る事も男子は知らない。私の事をたぶん何の疑いも無く勘違いしている。眩しいくらいに。 「うそうそ。ありがとう。私も男子に会えて良かった本当に。ごめんね。怒ってんの?」 「別に。」 俺があの日初めて見た時からずっと女子の事を見守って来た事を、盗聴器を付けた事を、色んな事を知らない振りして子供ぶっている事を女子は知らない。 「何か、誰かいるような気しない?何か見られてるみたいな。」 「何それ。誰もいないでしょ、気のせいじゃない?自意識過剰だよ。」 「そうかなー。何かね、たまにそう思う事あって、もし本当に誰もいないんだとしたら私が感じてるのって神様かなって、実は最近そう思ってるの。そうだったら素敵じゃない?」 「何だよそれ、前向きに飛躍し過ぎ。神なんていないよ。でも、わかんない。そういうのって分かる人には分かるっていうし。俺はあんま居て欲しくないけど。」 「そう?まあーこういうのは心の問題だからねー。分かる人には分かるの。あー何か会える気してきた。神様と私だけの秘密なの、えへへ。」 「えへへって、墓の中まで持って行くのが秘密ってもんでしょ。まー夢があって結構だとは思うけど。」 「何かバカにしてる?私だってお墓の中まで持っていくもん、そんで神様に会う。」 会えて良かったってのは嘘じゃない。本当に。相手は自分の太陽なのだと2人は思う。 「明日何着てく?」 「制服。」 「えー、制服?何かダサくない?」 「いいんじゃないの?何でも。家出てから着替えるの面倒くさいし。」 「まー、それもそうだね。じゃあ私も制服にしよう。で、ある確かな筋からの情報なんだけど、制服って…。」 まっさらに晴れた夜空に光る星。カシオペア。シリウス。オリオン。北極星。愛で空が落ちてくる。 夜の公園。ブランコに腰掛けた2つの影。
中沢さんは、こんな人… relevos.61 後上
智紀 中沢隆人さんはフジロックに裸(のような)で行くような人です。裸(のような)で楽しんで、裸(のような)で帰ってくる、男です。そしてジーパンを履いて眠る、杉並区在住26歳です。裸のような絵を描きます。叫ぶような、詩のような。
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relevos.63 中山 俊雄 「不純物沈殿工房」 |
僕は、絵を描いています。 何気なく人生の残り時間を気にしながら、住む場所を変え、多少職を変え、生活パターンを変えながら。しかし、1日1日、考えた事、起こった出来事を忘れながら生活しています。 頭の悪い僕には、日常が難しいことばかりです。 他人の人生、プライベートを覗くことで、他人の秘密を所有し、他人を自分の所有物だと思いたがる人がいたり。 自分勝手にとび出してきたにもかかわらず、道に迷ったくらいで、大騒ぎをして、たまたま通りがかった親切な人に、いつの間にか命令をしている人がいたり。 周りの状況を考えず、いいたい事を言うが決して責任は取らない。どうでも良いルールを勝手に作り、それに従わない時は、容赦なくバッシングを浴びせる人がいたり。 僕の周りは洗濯機の中の様です。 洗濯機を回した時に出る、どこからわいたか解らない、わたゴミが集まり、沈殿する。そして服のしわや細かなすき間に入りこみ、次から次へと沈殿する。液体の激しい流れの中、異質な重いゴミは、流れに乗れずに沈んで、入りこむ。次から次へと入りこみ、決して取れない。 他人に、自分を良く見せようとしたり、自分を守るための壁のため、アイディンティティーが出来る。 僕は、そんなアイデンティティーの吐き溜めとして、絵を描いています。
中山さんは、こんな人… relevos.62 中沢
隆人 僕が予備校生だった頃の同級生でした。そのころ特にお世話になりました。
あの頃知り合った人で今でも交流のある人物は中山君以外にはおりません。中山君は現実主義だと思います。僕はその逆なので、たまに彼の事を非常にマジメな方の様に思う時があります。
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relevos.64 渡辺 英子 「食を考える」 |
最近の取り上げられない日はない食品に関する偽装や異物混入などのニュースですが私は消費する側の意識が変わらない限り減ることはないと思っています。 専門的なことはよくわかりませんが、学生時代は栄養学部に通い、農家での仕事経験三年程あり。現在果物と野菜の販売をしている私が思うことがいくつかあります。 私は現在花の仕事に携わっているのですが、この仕事で独立する前、生産者を経験してみようと思いハーブ農家で働いていました。ハーブの仕事と言うと聞こえがよいかもしれませんが、まったく普通農家仕事です。大変だとは思っていましたが実際働いてみると自分がそれまでにしてきたどんな仕事よりも辛いものでした。 働き始めた当初は常勤の女性は私一人でした。近所のパートさんが何人かはいましたが他は男性と外国の方達です。中国・韓国・インドネシア・フィリピン様々な国の人達が出稼ぎにきていました。 周りには他にも畑や田んぼが多くあったのですが兼業のところが多く働き手がいないためにどんどん廃業していきました。農家で働く若い人が増えていると聞いていましたが実際には仕事がきついために続く人があまりいないのです。その上に外国の方が働きたいと思っても法律上の問題が様々あり長期間就労できないことも大きな問題だとおもいます。 作る人がいなければ輸入に頼るしかなく、どんどん輸入が増えていくのです。 安いものが重視される傾向もまだまだありますが本当に作物を作るのは大変です。 私が働いていた農家は生産からパック詰め、出荷までをすべて行っていました。 繁盛期には朝7時に出勤してハウスを開け摘み取り、洗浄、パック詰め、これを繰り返しながら翌日の2時3時というのは当たり前です。ハーブでよく知られているミントは需要も多いのですが、葉が小さいために摘み取りに時間がかかりひとつずつハサミで収穫しているのです。またサラダや付け合わせでよく販売されているベビーリーフと呼ばれる発芽してから大きくなる前に摘み取るハーブ達は、根っこから取るために常に生産計画を立てながら種まき〜収穫を続けていかなければなりません。日本は出荷の規格が厳しいので暖かい日が続いたりすると大きく育ちすぎてしまい出荷すらできなくなってしまうのです。 また実際出荷できたとしても相場によってはただ同然の値段で取引きされることもよくあります。 365日天候と季節に左右されながら、出来上がった作物がわずかなお金にしかならなければ生産者の生活は成り立たず続けていくことは出来ないと思います。
また生産していた側から野菜を販売する側になって思うことは、消費者側の意見が生産者の方に届けば無駄がもっとなくなるのにと言うことです。 トマトを例にとるときれいにパック詰めされたものと袋詰めのトマトだとかなりの価格が違います。きっとスーパー等で陳列される際にはパックのほうが見栄えがいいから袋詰めは敬遠されているのでしょう。石油の高騰もあり包装に関しては簡易化がすすめられています。私たちにしてみると同じトマトなら価格が安いほうが良いのにそういった商品は店頭にあまり並んでいません。今、道の駅を中心に増えている地物の直売所はとても合理的で生産者と消費者の距離が近くお互いの顔が見え、こういった売り場が増えることでたくさんの無駄が省かれ生産している方の負担も少なくなると思います。 例えば何気なく出荷時に使用されるダンボール箱は配送後潰されるだけですが高いのです。これが収穫後、ラックに入れられ売り場までそのまま運ばれるだけで箱代、パック代、詰める手間、そして配送時に崩れないようにするバンドを掛ける手間がなくなります。 そして多少大きさが規格外でも販売することもできます。 このような売り場を利用することは地域農業を私たちが盛り上げることのできる身近で簡単なことだと思います。 花市場では以前からバケツでの配送が進められています。バケツ1種類に統一されリサイクル市場に戻され生産者の元へ。出荷時に水を入れることが出来るので鮮度の保持にも役立っています。花の箱は大きいものは1メートルを超え運ぶのも捨てるのも手間だという花屋側の意見が反映された結果です。ほんの少し意見を交換するだけでいいのです。
現在はボタンひとつでなんでも手に入る時代なので画面上の表面的な様子で商品を判断することが普通になっています。小さなことですが実際作っている人や口に入るまでの過程にもう少し目を向けて身近に感じていくことが、遠いようですが一番近い食の安全につながっていくと思います。
渡辺さんは、こんな人… relevos.0 石川
美鈴 (旧)寺島文化会館前の花売娘、通称“デコちゃん”。 デコちゃんが現れると正に花が咲いたように景色が華やかに明るくなります。 料理上手で働き者のお母様の遺伝子を受継いだ笑顔がステキなお嬢さんです。
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relevos.65 杉浦 美佳 「本当の幸せとは?」 |
「本当の幸せとは何か?」21歳の時、「彼」と出逢ってから私の頭にはよくこの言葉がよぎる。 日本人に馴染み深い南の島、バリ島から単身船でスマトラ島へ渡り、ローカルバスや出逢った人たちの車を乗り継ぎ、途中の町に立ち寄りながら数日かけて辿り着いた憧れの地、ジョクジャカルタ。通称ジョクジャ。インドネシアの古都と言われる地。数日前までいたバリ島とはうってかわって外国人観光客など滅多にお目にかかれない。ましてや日本人の女の子など滅多に来ないらしく、「久々にジャパニーズガールに会った!」と道行く人によく言われた。そんな街で出逢ったのが「彼」である。シギット、当時25歳。
小さなリュックサックに分厚い本が1冊と換えのTシャツが1枚。ポケットにはその日をやっと暮らせる程度のほんのわずかなお金。これらが彼の全財産だった。そう、路上生活者。 美術の学校に通い、自らもが描いたバティックの展示会に観光客を呼び込むのが彼の主な仕事。そしてその客引きに見事捕まったのが私なわけだ。
遠く離れた彼の実家から、バティックの勉強のため芸術の街でもあるジョクジャに単身来ていたシギットは、自らが稼いだお金で学校に通い、まだ幼い弟妹の為、わずかながら実家に仕送りまでしているという。 方や親のお金で当たり前のように大学に通い、挙句の果てに「1年間休学して旅してくる!」と家を出たノー天気な私。 シギットには恥ずかしくてそんな事は言えなかった。同じ20代の若者とは到底思えなかった。
ジョクジャにいた10日程度の間、シギットや彼の仲間たちと終日過ごした。ローカルフードを食べ、夜は観光客などまずいない路上の茶屋によく行き、語った。 ジョクジャは昼こそ多くの出店が並ぶものの、夜になってそれらの店が閉まると、どこからともなくポツポツと赤いちょうちんをぶら下げた「茶屋」が現れ、歩道いっぱいにずらりとゴザが敷かれる。上野公園の花見同様にどこまでもゴザが並ぶのだ。 相手の顔も良く見えないような薄暗い場所にも関わらず、どこからともなく人々が集まってはゴザの上に腰を下ろしお茶を飲む。 カップルに仕事帰り風の人々、友達同士であろう集団が楽しそうに語り合い、時には歌う。テレビやインターネットなどなくても十分に楽しく、心が満たされるとても贅沢な時間だった。 別れの日、自分の体が隠れるほどの大きなバックパックをしょう私を見て、シギットは呆れたように笑った。「なぁミカ、たかが1年そこそこの旅に何でそこまでの大荷物が必要なんだ?!」と。
今、一歩外に出ると異様な光景をよく目にする。友人たちと話ながらも目線は手元に落とし、携帯電話のボタンを押し続ける人々。ゲーム機片手に無言のまま同じ時間を過ごすカップルや親子たち。 モノが溢れる今、より多くのものを得、またそれを得るために私たちが負った代償はあまりに大きい気がしてならない。
先日、幸福を追求するブータン王国のことを取り上げたテレビの一コマがあった。多くの国が国民総生産を上げるために競い合う中、ブータンが目指すのは国民総幸福量を上げる事だという。国の経済成長ではなく国民がどれだけ幸福に生きるかということだ。その中でとても興味深いブータン人の言葉があった。「幸福=現実/欲望なのだ」と言う。モノや情報に溢れたこの日本ではどうしても「欲望」ばかりが大きくなりすぎて「現実」とのバランスがとりにくくなる傾向があるように思う。 新しいモノを得ても、また次のモノが欲しくなる。 これは単に物質的な「モノ」だけに過ぎないように思う。
企業はそんな人々の心理を仰ぐように商品開発を競い合い、多すぎる情報を流す。それに踊らされた消費者である個人は1つでも多くの欲望を満たす為、心と体を酷使して働く。家族や友人、恋人との大切な時間を削って働く。自らそうしている人、そうせざるを得ない人があまりに多い気がする。 私もモノや情報に踊らされているという点は否定できない。 これだけ豊かな国に生きながら、心から満たされている人は一体どれほどいることだろう?毎日の異常なニュースを見ているとそう感じずにはいられない。そうでなくても、ストレスによる自殺や心の病に苦しむ人たちが多いこと…。
シギットのリュックには私の持っているモノは全くと言っていいほど何も入っていなかった。それなのに、彼は誰が見ても満たされたような幸せな笑顔で毎日を送っていた。
あれから6年、結婚をし出産も少しは考えるようになった今、未来の自分たちの子供の世代ではおのおのにとってのの「本当の幸せ」を追求しやすい世の中へとなって欲しいものだと心から願う。と同時に、そんな環境づくりをするのが自分たちに課された役割ではないかと思う。
杉浦さんは、こんな人… relevos.64 渡辺
英子
大学卒業後、貧しい国の人々に“寄付ではなく仕事を”目的にフェアトレード雑貨トゥナスを開店し現在は移動販売にかわったため一緒に働いている仕事仲間です。
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