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 relevos.71〜75

relevos(リレーエッセイ)は、気ままに連鎖します。
当財団は口をはさめません。


 relevos.71 藤原 麻由   「心で奏でるリズム」

 心で奏でるリズム。
私が今最も愛する打楽器、南米ペルーのcajon(カホン)。
30歳を過ぎてから始めたこの楽器を演奏する時に一番大切にしている事。

今までエレクトーン、琴、コントラバス、フルート、ギターなど 様々な楽器に触れて過ごしてきたが行き着いた所はやはりリズムのみで気持ちを表現するという原始的 な場所。
行き着くだなんて、まだそんなに長く生きてはいないけれど。
私はこの楽器と共にこの先も歩んで行こうと心に決めている。

cajonとは四角い椅子のような箱に座り、表面(打面)を叩いてドラ ムのような音を出す楽器。

「この楽器で何をしたいのか」と聞かれれば、答えは一つ。


...表現する事のお手伝いをして、たくさんの人を笑顔にする...


学校に行けず、家族の為に幼くして働く子供達。
ストリートチルドレン。
競争主義社会の中でペースを乱され、自分を見失っている子供達。

何かをしたいと思っても、実際は恵まれた生活をしていて、素晴ら しい仲間に囲まれ、仕事を選び、必要以上なものを簡単に購入し、それでも不満を抱え生きている私。
しまいには「恵まれない子供達」だなんて表現で上からものを見る。

それでも何かできないかと考え、次の瞬間には「あの洋服欲しい」 「あの楽器が欲しい」とも考える。
矛盾と葛藤ばかりを抱えて「自分のやろうとしている事は綺麗事だ」と思い込んだり。
それでも何かをしなければと思う毎日。
何かをするには「精神的な安定」と「経済的な安定」も必要なんだと思って、葛藤を抱きながらもやるしかないんだというのが今の所出た結論。

この楽器cajonは音楽の知識が全くない人でも、簡単に心を表現する事ができる楽器だと思っている。
上手い、下手ではない。
その楽器に直接座り、素手で叩き、その振動は直接体に響いて返ってくる。
気持ちが乗れば音が響き、乗らない時は素直に音に出る。

私は簡単に手作りする事もできるこの楽器を通して、自分を表現する事ができない子供達の手伝いをしたいと思っている。
それが私が人として今できる役割なんだと思っている。

例えば歌を歌う人がいれば、伴奏をする人がいて、リズムを奏でる人がいる。
一人でもできる「音」作りに、それぞれ違う役割を持った「音」が重なると、途端に「音楽」に変わる。

心を表現する手段は「言葉」や「表情」
それができない人は「音」もあるんだと言う事を伝えたい。

全員を笑顔にする事はできなくても、自分ができる範囲で、できるだけたくさんの人を笑顔にしたい。

cajonにはその力があるんだと思っている。

「この楽器とともにどれだけの人を笑顔にできるか」

これが当面の私の目標。

この目標が自分を支えてくれている事は言うまでもない。

「心で奏でるリズム」をこの先も大切にしていきたい。


次回は大切な音楽仲間であり、心ある音楽を奏でるシンガーソングライター「マエヤマ=タカミ」さんです。


藤原さんは、こんな人… relevos.70 鹿志村 美幸
彼女は、大切な音楽仲間。いつでも笑顔を絶やさず、相棒のカホン(打楽器)と共に真っ直ぐに進んでいく姿には、私も刺激を受けてしまってます。



 relevos.72 マエヤマ=タカミ   「for」


 11月の吉日。

今住んでいるアパートは眼下に一級河川が望める角部屋の1K。南と西側にある窓からは、日中これでもかってほどに太陽光の恩恵を目一杯受けられる反面、夜は川の上を滑ってやって来る冷気が、鮮度をそのままに、窓を伝い室内へと忍び込んでくる。

おかげでこの原稿を書こうとかれこれ2時間近く窓際にあるパソコンに向かって「あーでもない、こうでもない」している僕の足は、いつのまにかフローリングをヒタヒタと歩く猫の肉球のように冷たくなってしまった。
慌ててつい4、5日前に押し入れから引きずり出してきたばかりの電気ストーブを「強」に合わせて指の先をじんわり解凍させながら、また「あーでもない、こうでもない」とカタカタキーボードを叩いている。

自分で作詞作曲した曲を自分で演奏して歌う、いわゆるシンガーソングライターという活動を始めたのが18の時だから、今年がもう10回目の冬になる。

音楽。
僕が音楽を始めたきっかけは「自分には音楽しかなかった」とか「音楽が自分を救ってくれた」、そういうどうしても音楽じゃなきゃならなかったという類いの理由ではなくて、ただ「友達がギター弾いてるのが格好良かったから」という実にありがちで風で吹いて飛ぶくらい軽いものだった。
「かっこいい」「たのしい」、最初の方はそれもまっとうな理由になり得、意外と長く続くもの。有り難いことに聴いてくれる人もたくさんいた。でも時間の経過とともに自分を取り巻く環境は目まぐるしく変わっていく。
年齢を重ねていく、まわりが就職していく、家庭を持つ友人が増えてくる。自分の将来を見つめる機会がグッと増える。

人生をかけて何かに打ち込むためには覚悟に似たそれなりの理由が必要で。だけど音楽を生業にしたいと思っている割には自分の中にその理由が無かった。
次第に歌っていてもどこか違和感を感じるようになっていて、「結局自分は音楽で何がしたいのか?」ということをずいぶん長い間悩んだ。

そんな折、関西地区で放映されるとある知的発達障害のドラマの主題歌募集をしているから、そのコンペティションに参加しないかというお話をいただいた。
発達障害を抱えた子供が社会生活を営む上で様々な困難に直面するが、両親・周囲の人間の気づきや支え・そして本人の努力によってその困難を乗りこえていくという内容のドラマだった。
台本を読ませていただき曲を書き下ろす作業。今までは自分の感情を満たすために曲を書いていた僕が、「母親が子を思う気持ち」をテーマにそのとき初めて「誰かのために」曲を書いた。
それがありがたいことに主題歌として採用され、関西地区で放映され、有り難いことにそのドラマを観た方からの反響をたくさん頂戴した。

この一連の作業や反響を通して僕は音楽の力というものを知ることになった。
これがきっかけで「音楽は自分一人を幸せにするためのものじゃない」という気持ちが根付き、いつしか僕の中で音楽を続けていく理由が生まれた。

「誰かのためにある音楽」

一言に「誰かのために」と言ったって難しい。
自分が背中をポンと押してあげたいと思って書いた歌詞の一言が、崖の上に立っている誰かを突き落とすことになるかもしれない。
誰かのために何かをしたいということは、求めてない人からすればただのおせっかいだし、「してあげたい」という欲求を満たすだけのエゴでしかないのかもしれない。綺麗ごと言ってるけど、結局のところそんな理由をつけてでも音楽がやりたいんでしょ?

そういう言葉達を言われても僕はまだそれを全部跳ね返すだけの力を持ち合わせていない。だけどそれは人生をかけて追い続けるだけの価値があるテーマだと思えるから、やると決めた。現在も目下活動中。

ずいぶん昔になぜか僕のことをミックと呼ぶ友人のお父さんに言われた一言。
「失敗しても辛くても、続けるっていうのは大事なことなんだ。とにかくしんどくても続けたら続けただけいいことがあるから」
なんの根拠があってこの人はそんなこと断言出来るんだろう、と思った記憶があるけれど、しんどい時はなんだか妙にこの言葉に励まされている自分がいたりする。

11年目の冬は10年目の冬よりも意味のある歌を歌えているだろうか。
その答えはそう、続けてみないとわからない。そしてその答えは、日々自分が関わるすべての「誰か」に対して、歌を通じ何が出来るかを考える旅の中にある。

つらつらと書き綴っている間に、氷ついていた足もいつのまにやらすっかりぬくもりを取り戻している。こんなヒーターみたいな歌が歌えたらな、そんなことを思う冬の入り口。

次回は、昔僕と一緒に音楽ユニットを組んでいた相方でもあり親友でもある中丸晃慶です。

                マエヤマ=タカミ official website
                 http://maeyamatakami.com/


マエヤマ=タカミさんは、こんな人… relevos.71 藤原 麻由
心に響く歌声と音を奏でる松戸市在住のシンガーソングライター「マエヤマ=タカミ」さん。
常に聴いてくれる人たちを大切にし、言葉を大切に歌い上げる人。
9月にミニアルバムを発売し、今後もたくさんの人にこの歌声が届 く事でしょう。



 relevos.73 中丸 晃慶   「ピュアオーディオの世界」

 私は音楽が好きです。
歌うのも、演奏するのも、作るのも、聴くのも、全て好きです。
それらを、「ピュアオーディオ」というものを軸に考えてみたいと思います。

まずは、「ピュアオーディオ」というものをご存知でしょうか。
定義は難しいですが、ごく簡単にわかりやすく言えば、安価で手軽に使えるポータブルオーディオやラジカセやコンポといった音響機器ではなく、プレーヤー、アンプ、スピーカー等の機器類や、ケーブル、その他アクセサリ類を個別に揃え、接続し、様々なセッティングをして、より「良い音」で音楽を聴く環境のこと、と言えば良いかもしれません。
このエッセイは私の主観です、とはじめに断っておきますが、私はピュアオーディオにこだわりを持っており、前述の手軽な音響機器ではなく、ピュアオーディオにて音源を聴くことが、音源を製作したアーティストへの敬意の1つだと思っており、ピュアオーディオを愛しています。

単衣に「良い音」と言っても、それは「高音質」であれば良いかと言えばそうは言い切れず、場合によって「良い音」の意味は変わってくるものと思います。
例えば、昔、レコード盤やAMラジオのような音質が悪い状態で聴いていた音楽だとしても、そこに「記憶」が乗せられていると、長い年月を経て同じ音楽を聴くことになった時、デジタルでクリアな音質のCDに収められた同じ曲を高音質なオーディオシステムで聴くよりも、音質は悪くても当時と同じようにレコード盤やAMラジオのような音で聴いていた方が、「記憶」が想い出として蘇り、その人にとってはそれが「良い音」になるのかもしれません。
また「良いメロディ」というものは、どんな聴き方をしても「良い音楽」と感じる事も多々あります。
音楽の「良さ」というのは、このように様々な「良さ」を持ち合わせていますが、それは大前提として、このエッセイでは、単純に「リリースされた音源をいかに高音質でリスナーが再生し聴くか」を「音の良さ」として扱い書きます。

今現在、一般的に普及している、ある程度高音質で、アーティストが音源としてリリースする音楽の媒体と言えば、「CD」だと思います。
サンプリング周波数44.1kHz、量子化Bit数16bit、チャンネル数はL、Rの2チャンネル、という規格を持ち、主に直径12cm、厚さ1.2mmの円盤状の形態で、前述の規格に従って作られた音声デジタル信号を、規格通りにアルミニウム蒸着膜に物理的に形成し、それを主に透明なポリカーボネート材で挟んだ構造を持つものです。
アーティストが音源をリリースする際には、このCDというディスク1枚に、自分が表現したい全てを詰め込むのです。

「高音質」というものをどう捉えるかにもよりますが、多くの場合、ピュアオーディオは、CDであればその盤に収録されている音に対し、収録された原音を忠実に再生することを目指したり、その上で、自分の好みの音質で再生し心地よく聴くことを目指したり、そういった、要は「CDに収められている音をいかに引き出し生々しくもしくは気持ち良く再生するか」を目指す事が多いことと思います。

例えば、「CDに収められている音をいかに引き出すか」という部分について書いてみます。
大編制のオーケストラを考えた場合、一度に鳴っている楽器の種類や数は非常に多く、それぞれの楽器が実際には別々に鳴っています
しかしながら、前述のコンポ等の手軽な機器では、再生時に楽器ごとの音の分離が悪く、音の塊となって聴こえてしまうことが多いでしょう。
また、大きく鳴っている楽器もあれば、小さく鳴っている楽器もあり、大きく鳴っている音に小さく鳴っている音が重なると、小さな音は大きな音にかき消され聴こえない状態になってしまう場合があります。
例えて言うなら、静かな部屋では聴こえる腕時計の秒針が時を刻むカチコチという小さな音は、街の雑踏の中ではかき消されてしまいます。
このような「存在してはいるが聴こえにくい音」なども、前述と同様に手軽な機器では、かき消されてしまったりします。
また、楽器1つをとっても言える事で、楽器の音色は様々な周波数帯域を持つ倍音の組み合わせで構成されていますが、たとえばコントラバスのあの木で出来た大きなホロウボディが生み出す深い低域や、グランドピアノの様々な美音やバイオリンの流麗で艶やかな響きも、前述同様に手軽な機器では再生時には再現されません。
CDにはきちんとその楽器の音色で収められているのにも関わらず、手軽な音響機器で聴く音では「本物の楽器の音とは程遠い音」となって再生されます。
このように、音源の製作者が音をきちんと収録しいる場合は、それがその音源の製作者が表現したい音であり、それがリスナー側の都合できちんと再現されない場合、製作者の伝えたいことが伝わっていない状態となっています。

例えばそれがクラシックと対極にあるかもしれないロックバンドでもそうでしょう。
アーティストは、原曲を作り、アレンジを考え、様々な楽器を使い様々なフレーズを作り、それらを組み合わせて試行錯誤しながら1曲を構成します。
それをレコーディングする際には、多くのトラックを使用し、様々な楽器の様々な旋律をいくつものトラックにレコーディングします。
それが例えば同じギターのトラックでも、1本ではなく何本ものギターパートを重ねてギターだけで多数のトラックを使用したり、また前述の時計の針の例のような、聴こえるか聴こえないかという音を収録する場合も、アーティスト側にとってみればそれは「その曲に必要な音」であり、きちんと録音します。
そして、それぞれ録音されたトラックを組み合わせ、各々の音量や帯域を決めバランスを取るミキシングやマスタリングという作業をし、最終的にそれを音源としてCDに収録しリリースします。
しかしながら、前述同様、手軽な音響機器では、本当はCDに収められているたくさんの楽器や旋律も、レコーディングされた通りには再生されません。
何本も重なっているギターの音は、ギター1、ギター2…、という形には聴こえず、重なったギターの音の塊となってされることでしょう。
それどころか、「声」と「演奏」というたった2つのくくりのような形になってしまうかもしれません。
その「声」さえも、人が歌う生々しい「声」とはまるで違う音として再生されます。
もしかしたら声も演奏も1つになった、ただの音の塊として再生されてしまうかもしれません。
また、クラシックで述べた「1つの音を考えた場合」と同様、例えばアコースティックギター1本とヴォーカルのみの曲でも、同様のことが起こります。
つまりは、そのアーティストが、この曲にはこの音が必要だと考え、1つ1つ大切に収録したいくつもの音を重ねて収めた1曲が、本来の伝えたい形でリスナーに届いていないこととなり、つまりはそのアーティストが表現したい通りに聴いていないことになります。

このように、曲を作り収録する側は、自分が表現したくて、リスナーに聴いて欲しくて、様々な楽器を使用し様々な旋律を考え大切に収録し曲としてCDに収めているにも関わらず、それをリスナー側が受け入れる体制を取っていないおかげで、伝わりきれていない状態となるのです。
私は、音楽が好きだからこそ、アーティストの意向を出来るだけ尊重し、そのアーティストへの敬意として、出来るだけそのアーティストが表現したい形を、聴く側で再現するべく、ピュアオーディオシステムを組み、音楽を聴き楽しんでいます。
それが製作者への敬意の1つだと考えるからです。

ピュアオーディオのシステムから詳しく説明し始めると奥が深すぎて話が長くなり過ぎるため、簡単に書きますが、最初に書いたように、CDを再生するには、最低限、CDプレーヤー、アンプ、スピーカー、それぞれを接続するケーブル、そして電源が必要です。
ピュアオーディオシステムを組むということは、安ければそれぞれ数万、高いものになれば合わせて数千万と、ピンからキリまでのものですが、高いものを揃えれば良いわけではなく、大切なのは、自分の音の好みを知り、それを実現できる組み合わせを知り、その組み合わせで出せる良い音を引き出せるセッティングをし、さらに大切なのは「ボトルネック」となる部分を作らないことが重要です。
「ボトルネック」をわかりやすく言えば、例えば100万円するCDプレーヤーやアンプを使用しても、980円のスピーカーに繋いで再生すれば、出てくる音は、100万円の恩恵をまるで受けられず、その980円のスピーカーに支配され、980円の音しか出ず、下手なラジカセやコンポよりもずっと悪い音質で再生されてしまうでしょう。
つまり、1箇所だけでも音質に気を使わないおかげで、出てくる音はその「気を使わない場所の音質」に支配されてしまうのです。
これはわかりやすい例ですが、ピュアオーディオに興味がない方にはピンと来ないかも知れませんが、前述のCD再生に必要なものの「全て」において言えることで、CDプレーヤーとアンプを接続するケーブルも、よくAV機器を購入した際に付属品として付いてくる赤白のケーブルではその「付属品レベル」の音となってしまい、さらには電源となる壁コンセントや電源ケーブルはもっと大切で、音質に大きく影響を及ぼします。
川の水の流れで例えれば、水は「雨→上流→中流→下流→最終的に海へ放たれる」と流れます。
オーディオならば「コンセント→電源ケーブル→CD→プレーヤー→接続ケーブル→アンプ(各機器を乗せるラック)→スピーカーケーブル→スピーカー(スピーカーボード)→最終的に音が部屋へ放たれる」というわけです。
おいしい水を飲むためには、川の上流が綺麗でなければならず、さらに川の流れの途中で汚れた水が流れ込まない環境が必要です。
オーディオも同じで、壁コンセントからオーディオ用のものを使用し、さらには機器やケーブル等、いずれもボトルネックにならないようにシステムを組み合わせ、かつそれらの実力を引き出せるように適切なラックを使用し、機器類を置く部屋の状態も考え、場合によってはミリメートル単位でそれぞれの機器を設置して良い音となるように追い込む事により、CDに収録された通りに忠実な音で高音質に再生する事ができます。

ピュアオーディオ用の機器類は、様々な価格帯や様々なメーカーがあり、それぞれ特徴がありますが、リスナーは自分が聴いて気持ち良い音色となるように選び組み合わせるのです。
機器の実力をより引き出すため、例えばアンプは数万円でも、電源ケーブルや接続ケーブルには数十万円かけている、といったような方が多いのも事実です。
私もそうですが、普通の家庭にある壁コンセントで、付属品の電源ケーブルを使用して音楽を聴いていた状態から、壁コンセントをオーディオ用の物に交換し、電源ケーブルを良い物に換えた時に出てくる音を聴いた時、その差に、まさに開いた口が塞がらない程驚いたものです。

このような環境で、良いレコーディングをされたCDを聴くとどうなるか。
オーケストラのCDを聴けば、録音した場所の広さや天井の高さが手に取るようにわかり、幾重にも重なる楽器は塊とならずに全て1つ1つの音として聴こえ、誰がどの位置にいるかまでわかるような立体感を持ち、その1つ1つの音はまるで目の前で生演奏されているように、部屋がコンサートホールになったかのようにリアルに聴こえます。
ヴォーカル物のCDを聴けば、まるで目の前にそのアーティストが立って歌っているように聴こえ、口を開く音や、その口の大きさまでわかるほどリアルに再現されます。
私はギタリストでもありますが、アコースティックギターの音源を再生した場合は、どのブランドのどの機種のギターかまで手に取るようにわかります。
ロックバンドのCDを聴けば、コンサートのステージのような、4人であれば菱型に形作られた「音場」が目の前に見事に再現され、その曲を構成する数々の楽器の音全てを感じ、散々述べた雑踏の中で消えそうな時計の針の音のような旋律まで確実に耳に届きます。
あまりにリアルに再現され過ぎて、スピーカーの存在がわからなくなるほどです。

つまり、たったLとRの2チャンネルの音が、スピーカーの存在を消すほどの立体音場を作り出すのです。
このような音で聴こえるという事は、このような音で聴かせたいがためにアーティストがこだわりを持って全ての楽器や旋律に想いを込めてレコーディングし伝えようとしているのです。
リスナーはそのアーティストの想いを尊重し、伝えたい事が自分にしっかりと伝わるよう、しっかりとしたオーディオシステムを組み、出来るだけそのCDに込められたものを多く拾い上げて聴くことが、そのアーティストへの敬意だと、私は考えます。

ただ、この「良い音」で音楽を聴く大前提として、「CDのレコーディングがきちんとされているか」があります。
レコーディング、ミキシング、マスタリングがしっかりとされたCDでない限り、前述のようなリアルな立体音場は再現されません。
例えばコントラバスの深い低音も、録音自体が悪くては、CDには本来のコントラバスの音としては収録されないため、どんなに良いオーディオシステムで再生しても、本来のコントラバスの音は出ません。
オーケストラの多数の楽器が一度に鳴るものや、バンドのドラムやベースやギターやボーカルも、良いレコーディング、ミキシング、マスタリングがされていない以上、どんなにリスナーが頑張っても、高音質での再生はできません。
残酷な事に録音の悪いCDは、優秀なピュアオーディオシステムで聴くとその悪い音がより克明に再現されます。
良い物は良く聴こえ、悪い物は悪く聴こえる、それがピュアオーディオの世界です。
ですから、例えばCDではなく安易にiPod等のポータブルオーディオをピュアオーディオ機器で再生しても、元がCDとは音質がかけ離れて悪い圧縮音源ですので、それ以上の音になることはありません。

全てのアーティストが良い録音をしてCDに収録してくれているのを望みたいところですが、残念ながら、雲の上の存在のような大御所の方でも、良い腕は持っているのに良い耳は持っていないアーティストも多く、曲は好きでもピュアオーディオシステムではとても聴けたものではない音源をCDに収録してリリースされていることも少なくありません。
それはアーティストだけの責任ではなくレコーディングに関係するエンジニア達の手腕にもかかっています。
だからこそ、既に発売したものを、後から「リマスター版」としてより良い音で再現されるように、既にレコーディングされたトラックを使用してミキシングやマスタリングをやり直して発売されるCDが多々あるのです。
現に、私の好きなアーティストの一部は、自身が過去に色々と音源をリリースした後、ピュアオーディオに興味を持ち、自身のCDを再生した時のあまりのクオリティの悪さに落胆し、全てのCDをマスタリングし直して再販した方々も多数いらっしゃいます。

ピュアオーディオシステムをしっかり知っている人間は、好むアーティストがどれだけ「音」にこだわりを持っているかがわかってしまいます。
私が好むアーティストも、音楽性は好きなのですが録音が悪く、いつかこのCDを誰かがリマスタリングして再発売してくれないかと願うものもたくさんあります。
アーティストは、聴き手の事を考え、伝えたい事をしっかりと伝えられるようにより良く録音してCDに収録し、リスナーはそれをきちんとリスナー側で再現できるようなシステムで聴く、それが、アーティストとリスナーの良い関係だと私は思います。
そのアーティストの音楽性を好み、そしてそれが優秀に録音されたCDを、自分の好みに合ったピュアオーディオで聴く事が、私が音楽を聴く上での最大の喜びです。

ただし、散々書いてきた、ポータブルオーディオやラジカセやコンポなどを否定するつもりは毛頭ありません。
それはそれ、これはこれ、です。
ニーズが違うのです。
ラジカセやコンポは、コンパクトに置いて音楽を聴くことができ、移動もすぐにできるでしょう。
ピュアオーディオはそういうわけにはいきません。
ポータブルオーディオはいつでもポケットに入れて好きな音楽を聴けるでしょう。
ピュアオーディオはそういうわけにはいきません。
私は毎日通勤時にポータブルオーディオで音楽を楽しく聴きながら出勤します。
そこにピュアオーディオのクオリティを求めるのは、完全にナンセンスな事です。
ロックを好む人間がクラシックを否定したり、クラシックを好む人間がロックを否定することと同じです。
同じ「音楽」なのです。
比べるものではありません。
音楽を楽しむ形態は、人それぞれ、ピュアオーディオも自己満足の世界です。
ピュアオーディオで音楽を聴くことが、アーティストへの敬意の一つだと私は考えますが、同様に、毎日携帯音楽プレーヤーで好きな音楽を聴きながら楽しく通勤時間を過ごす事も、アーティストへの敬意の一つだと思います。
「音楽」という、形を持たないものであるからこそ、柔軟に楽しみたいものです。

次回は、その文才にとても私は惹かれ、彼がどんな内容を書いても読みたくなってしまう、親交の深い友人、黒田誠です。


中丸晃慶さんは、こんな人… relevos.72 マエヤマ=タカミ
音楽、人とのつながりをこよなく愛する男。彼の放つ音と言葉はいつも正直です。



 relevos.74 黒田 誠   「旅へと誘う風」

 生きる上で大きな比重を占めるもの、大事な趣味がどなたにも一つあると思いますが、私は「旅」がそれに当たります。まあ「旅」と申しましても色々な形態、例えば家族旅行、友人と行く旅行、恋人と行くもの、色々あるでしょうが、私は20歳くらいから一人で旅に出かけるようになりました。きっかけは単なる失恋の傷を癒すためという名目でしたが、その場の気分等で行先を決められる自由さ、そういうものにも魅力を感じてしまったのです。

そんな一人旅ですが、思いがけないアクシデントに遭遇することも時にはありました。もちろん今となってはいい思い出・・・となっていますが、その中でも忘れられないエピソードがあります。それは20歳の時九州へ旅した時のことでした。

当時私は大学へ通っていましたが、いわゆる貧乏学生で、財布の状態は常に厳しい模様。しかし旅をしたい。 そんな矛盾を抱える中12月を迎え、青春18きっぷという、普通電車しか乗れない代わりに1日約2000円でそれが乗り放題になる切符を利用し、どこかへ出かけることにしました。そこで思いついたのが「今こちら(東京)は寒いので、南下して暖かいところ。そうだ九州へ行こう」ということ。そう、(暖かいだろう)九州へ向かうことになったのです。

しかし九州へ向かう行程は、前述のように普通電車です。通勤・通学過程で乗るそれとは距離が違います。今となっては二度とやらないことですが、当時は余り深く考えず「ただ、乗っているだけだから楽」そんな甘い考えで電車に乗り、乗り継ぎを多数繰り返して、ようやく九州に上陸しました。ただ、その車内では疲れからか、博多に着いた頃は文字通りフラフラだったことを覚えています。ただ、電車に乗り続けるという行為がここまで精神、ましてや肉体にまで影響を与えるとは予想もしませんでした。

そこからは今日動ける範囲。ようは終電で行ける最も長い距離の熊本駅へ向かうことにしましたが、外へ出た瞬間非常に焦る事態になりました。外が大変寒いのです。暖かい場所へと向かったはずが、東京より寒い。そして、寝る場所は駅のベンチと決めていたので、どこかに泊まろうにも所持金がありません。そこで仕方なく、当初の予定通り「ベンチ」へと移動しました。しかしやはり耐えがたいほど寒い。こんな自分でも「この気温で寝たらもしかしたら凍死の危険が少しはあるかもしれない」それは予想出来たので、何とか始発まで自分を励ましながら起き、乗るというより寒さからの逃避のためだけに始発電車に乗り込み、大分へと向かいました。ちなみに両足の素肌を晒していた部分は少々凍傷っぽくなっていたと思います。

大分ではとりあえず別府温泉に向かいましたが、昨夜入浴していないのと、身体が芯から冷えてしまっていたので、この温泉に行くということだけはすぐに決まりました。しかしその別府温泉、当時あまり温泉そのものにそこまでの興味はなかったので、半ば軽い気持ちで入りに行きましたが、本当に素晴らしいものでした。もちろん温泉そのものの効能もあるのでしょうが、予想外の寒さに一晩中さらされ、精神的、肉体的にも消耗していた身体がその瞬間溶けるようで、身体も嘘のように軽くなり、温泉でここまでの衝撃的な体験を出来たのは本当この1回だけです。おそらく「予想外の寒さ」に一晩中さらされていなければ普通だったと思いますが、結果的には一生忘れないであろう素晴らしい経験をしました。

このように行き当たりばったりのようなことをしてきたので、エピソード的なものは他にもあります。まあ20歳で最初の頃の旅ということでこれが一番心の中で色濃く残っていましたが、心に残っているものはほとんどがその時は辛かったもの。

でも、もしかしたらこれは旅だけではなく、人生においても言えるのかもしれません。その時辛かったことは心に残り、時間がかかるかもしれないけど、残ったものは形を変え、やがて笑い話のように振り返れる時が来る。

その時のために今を生きようと思います。またいつか、自分を旅へと誘う風が吹き始めたらどこかへ出かけたい、そう感じる今日この頃です。


黒田誠さんは、こんな人… relevos.73 中丸 晃慶
様々なことにたいして互いに似た価値観を持っており、それを自覚し合い、本音で全てを話せる、とても信頼している親友です。



 relevos.75  寺嶋 友文子   「小さな私に会いに行く」


 2009年8月31日、明日から9月。今は20世紀少年最終章や民主党による政権交代、24時間テレビで珍獣ハンターのイモトが女子最長距離の126キロを完走したということで世間は賑わっている。未来の世界では今何が起こってるかな?
 おばあちゃんの部屋の机の上から飛び降りて前歯が下くちびるを突き抜け、泣き叫んでいるそこの君!毎朝車庫入れしてから幼稚園に出かける君のこと。そう、そこの君、迷子になっても迷子になったのはみんなだと開き直る君のこと。天丼とごはん頼んじゃう君だよ!はじめまして、元気にしているかい?すっとぼけた顔してるんじゃないよ。今日は君にとっておきの知らせを持ってきたんだ。これは君にとって悲しくもあり、面白い話でもある。まぁ、そこに座ってじっくりと語ろうじゃないか。
 何から話そうか迷うけど、出会いとか体験を中心に話すことにしよう。驚かないで聞いてほしい。いつかはわかんないけど、君のお兄ちゃんが犬を家に連れてくるかも。かわいい雑種の子犬。名前は君がつけてあげるといいよ。ちゃんと私がつけたって紙かなんかに書いておかないと、後々お兄ちゃんとけんかになるからね、そこは注意して。家族がひとり増えるなんてこんな嬉しいことはない。犬に見下されないようにちゃんと仲良くしなきゃだめだぞ。
 きっと楽しい旅行もたくさんするよ。君は家族で旅行に行くのが大好きだもんね。存分に楽しんでくるといいよ。食べた物とか買ったものばかり記憶してくるんじゃなくて、何をして楽しかったとかちゃんと思い出話になるようなことを心に残してくるんだよ。まぁ、でもそこも君のいいところなのかもしれないけどね。
 海外の短期留学にも行くかもしれない。戸惑うこともたくさんあるだろうけど、人との出会いを大切に楽しんでおいで。君の肝が小さくて優柔不断なところを改善するチャンスなんだから、しっかりやってこい!緊張のあまりYES、NOしか発せなくなるんじゃなくて、間違えてもいいから文を作って会話してくるんだよ!
 大学生になったら新しいことに挑戦してみるのもいいかもね。バレーボールとか車の免許取得、釣りも悪くないな。でも人に流されて始めるんじゃなくて、自分で何か面白いもの見つけて、それが趣味になると一番いいのかもね。
 君がよく遊んだ裏の道にはたくさんの家が立ち並んでもう遊べなくなるかもしれない。蛇が出るといわれた隣の草むらにも家ができて、幽霊が出るといわれたマンションもなくなって、近所がきれいに整理されて、新しい駐車場や家がたくさんできるときがくるかもしれないよ。よく注文する美味しいとんかつ屋さんも毎日のように行った近くのスーパーもいつかはなくなるのかもしれない。大好きだった人との別れも訪れるのかもしれないね。
 『変化』なんてやつは必ず伴うし、いったいどんな未来が待っているかなんて予想もできないんだ。私の未来を創っているのは私だけど、振り返ってみると何だか不思議。過去と今が繋がっているようには思えないほど色んなことが起こる。できれば大人になんかならずにネバーランドに行きたい。あ、君に言わせればメバーランドだね。
 今日君に会いに来たのは何だか恋しくなったから。もっと話したいことはたくさんあるし、私が落としてなくしてしまった大切なものも同じくらいたくさんあると思う。それをこれから君に拾ってきてほしいの。え?私?私はこれからもうひとり会わなきゃいけない人がいるんだ。今度は私がその人からお話を聞く番。その人の落としてしまった大切なものを拾ってあげなきゃ。恋しくなったらまた会いに来るからさ・・・


寺嶋 友文子さんは、こんな人… relevos.0 栗俣 佳代子
ちょっと前までは幼稚園生じゃなかった?と考えてみると、それは10年以上前の話。10年という月日は、子供から大人になる果てしなく長かった時間なのに、成長の止まってしまった私には、あらためてこの時間の感覚に愕然とさせられます。
ともあれ、すくすくと真っ直ぐに成長した友文子ちゃんのマドンナ級の素直さとチャーミングさは徒者ではありません。10年後の再会に期待です。




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