relevos.16 飯島 双智 「私に欠けていたもの」 |
先日、友人の家族を訪ねる為にアメリカのいくつかの都市を旅してきました。外国旅行につきものなのがカルチャーショック。私も例に漏れず、しっかりカルチャーショックを受けてきました。ただし、良い意味で、ですけれど。今回エッセイの執筆という素敵なチャンスをせっかくいただいたので、そのことについて書いてみたいと思います。 当時、私は、自分の人生、生き方について漠然とした不安・不満で頭がいっぱいな状態でした。仕事は一生懸命、全力でがんばっているつもりだし、プライベートだって、それなりに充実した時を過ごし、できるだけ色々な事を体験し、そこから学び、吸収するよう努めているつもりです。でも何か空しい気分になってしまうのです。このままでいいのかしら?どうしてこんな気分になるのかしら?その原因が分からない故、その不安・不満はどんどんふくらむばかり…。そんな思いを抱いて私はアメリカへ旅立ったのです。 さて、アメリカの空港に降り立ってまず驚いたのは、人々・建物・その他、ありとあらゆるものがとにかく大きいこと。人々は大股で颯爽と何だか自信満々な様子で私の横をすり抜けていきます。私は自分がとても小さく、一人取り残されていくような錯覚に襲われました。 数日間をシカゴという大都市で過ごし、たくさんの人々と触れあい、話をするにつれ、あの圧倒するような自信満々な様子は、彼らの大きな身体ではなく、内面から来るものなのだと知りました。アメリカと日本を比較する時によく特徴として挙がるのが、アメリカの個人主義。日本は人々との和・調和を大切にするという事ですが、私はその差をカルチャーショックとして改めて受け取ったのでした。私達日本人は周囲との関係、自分の立場をついつい考慮に入れながら自分の意見を決めてしまいがちで、時には人に合わせる為に意見を曲げることすらあるように思います。それに対して彼らアメリカ人は、人と意見が食い違えば、議論をしてでも守ろうとする自分の意見、強い自己というものを持っているようでした。日本人の、人との和・調和を大切にする態度が軟弱だ、なんて言いません。そのしなやかさが時には強さになることすらあることも私は知っています。ただ、それは、個人個人がはっきりアイデンテイテイを確立している、という条件の基に成り立つのだと思うのです。そうでなければ、ただただ、周りに流されているだけ、という事になりかねないのではないでしょうか。そして、それこそが、私に欠けていたもの、私の言いようのない不安に落とし入れていたものだと気付いたのです。ある雑誌にこう書いてありました。「人は誰でも、人生という川の流れの中でボートを漕いでいるようなもの。そこで自分の持っているオールをいかに使いこなせるかが、その人の力である。と同時に、具体的な方向性がなければ、どこにもたどりつけない。」自分を知り、人生の方向性を定めることが私の新たな課題です。 次回は、“自分を知っている”佐藤久代さんが走者です。お楽しみに。
飯島さんは、こんな人… relevos.15 Dyczok・薫 飯島さんは、つくば市在住の25歳。彼女と知り合った大学時代は、お互い海外への憧れを語り合い、英語を通して何かをしたいねと将来に夢をはせたものでした。ジャズや写真にも詳しい、エンジェルフェイスの素敵な英会話の先生です。
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relevos.17 佐藤 久代 「思い出を色鉛筆でそめよう」 |
ある日、私のクラスの学級文庫に15冊程の新しい本が入ってきた。担任の先生は次の水曜日から貸し出します、とおっしゃった。古い本は全て読み尽くしていた私はその日を指折り数えて待ちつづけ、家に帰ってからも毎日、「次の水曜日」と口にしていた。とうとう待ちに待ったその日がやってきた。先生は列の端から1冊ずつ好きな本を選んでくるようにとおっしゃって、子どもたちは順に席を立って本棚に近づいた。どんなにこの時を待っただろう。うれしくて、わくわくして、どきどきして。私の番が来た時は、スキップしたい気分だった。るんるんと本棚に近づいていった私はもう少しで悲鳴を上げるところだった。私の前の子が、最後の新しい本をつかんでいた。私は16番目だったのだ。私の直前で新しい本はなくなってしまった。私は読んだことのある古い本をつかんで黙って席についた。家に着いて、洗濯物をたたんでいた母に、本は借りられたの?と聞かれた時、こらえていた感情が流れ出てしまった。私は母のひざの上でしばらく泣いていた。もう、抱っこされるのは恥ずかしい歳だったのだけれど。 3年生だった私の思い出。誰が悪いわけでもなく、特別な悲劇だったわけでもない。ただ、思い出すと切なくなる、私の大切な記憶。私の息子が、今春私の母校へ入学した。あのときの本は今でもあるのかしら。 読書の秋で、セピアカラーの本箱のお話を描いたけれど、現実はもっとカラフルだ。私は色鉛筆を見かけるとつい衝動買いをしてしまうのだ。今78本持っている。時々出しては、並べて眺めてにんまりしている。まだまだ増えるだろう。ペンも54本。ついでに自分用のクレヨンも絵の具も持っている。絵は上手ではないけれど、道具だけはそろっている。全て母のせいだ。母は「30過ぎて自分以外の誰のせいだってんだ」とあきれているけれど、やっぱりセピア色した思い出があるのだ。 うちでは色鉛筆もクレヨンも絵の具も12色以外買ってもらえなかった。くすり屋の友人はいつも24色や、36色の色鉛筆や絵の具を持っていて、とってもとってもうらやましかった。そのせいで、今、色が並んでいるだけで欲しくなってしまう私は、色鉛筆を買い続けているのだ。 色鉛筆だけは買い続ける私でも、子どもたちに必要以上にものは買い与えない。20年前の母がそうしたように。家にはゲーム機もないし、もちろん24色の色鉛筆を買ってやるつもりもない。さて、彼らは将来、切ない思いを文章にするのだろうか。それとも、反動でゲームにのめり込むかしら。あるいは私のように色鉛筆を買い続けるのかな。 欲したもの全てが手に入るわけではない、悔しかったけど、なつかしい思い。子どもたちがその一片でも感じることができたら、私のセピア色の写真に色鉛筆で色をつけるようで素敵かも知れないね。 次回は、「普通の主婦って紹介してね」と言うわりには色々な背景のあるカラフルな村上靖子さんです。
佐藤さんは、こんな人… relevos.16 飯島
双智 「私もこんな風に生きてみたい」と思わせてくれる人っていますよね。佐藤さんは私にとってそういう存在です。2児の母という多忙な身でありながら英語講師として活躍し、しかも多趣味。しなやかな感性を持ち、それをフルに生かすパワフルな生き方。憧れます。
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relevos.18 村上 靖子 「一つの挨拶」 |
最近、仕事の上で感じたことがある。仕事は小規模ながら、自宅で英語教室を開いている。生徒は4歳児から中学生までの、年齢差は約10歳にわたる成長期の子供達。まだ教室を始めて2年目の駆け出し状態。子供と接することは好きだし、楽しんで出来るだろうと思っていた。ところが、やはり子供というのは可愛いけれど、いろいろと気を使うところもある。自分には今5歳の男の子が一人いるけれど、これから小学生になり、中学生になるその成長期の段階を、私はまだ親として経験していない。そのため、今どきの小学生や中学生に未だ慣れず、接し方に戸惑うことがある。 この頃、特に感じることは、生徒の中に、あまり挨拶がきちんと出来る子がそうたくさんいないような気がする。特に中学生ぐらいになると、どこか気怠く、「こんにちは。」「さようなら。」さえ、聞こえてこない。私もこうだったのかなあと、自分の中学生時代を思い出してみると、確かに思春期があったことは覚えている。けれど挨拶ぐらいは…していたような気がする!? そんなことを考えながら、何かすっきりとした気分になれずにいたある日、小学生低学年クラスのレッスンがあった。一年生のリナちゃんは、いつもそうなのだが、必ず帰る前に「ありがとうございました。」と頭を下げてゆく。私はその日、すっかりその一言に救われた。始めて会った時から、礼儀正しい子だなという印象は持っていたが、私の心身が疲れているような時に彼女の態度がどんんなに私を励ましてくれたことか、本当に嬉しかった。一言の挨拶がこんなに意味のあるものかと、改めて考えさせられた。 そしてリナちゃんばかりでなく、もう一つ年下の幼児クラスの6歳になるレナちゃんは、私がある時、息子が具合が悪いと話すと、私に「どうぞお大事に。」と言って帰っていった。驚いてしまった。まだ小学生にも上がっていないのに、大人顔負けの言葉がさらっと出てきて、それは言葉だけでなく、本当に心配りが感じられた。どうして、そんなことが言えたりするのだろうと考えてみると、やはり、レナちゃんのお母さんがそうなのである。いつも挨拶が丁寧で、そして何かにつけ、ひとへの気配りを忘れない。そういうお母さんの態度を普段見ているレナちゃんも、自然と人への接し方を身につけるようになったのだろう。 そう、全ては大人がお手本となっているのだ。親、そして祖父母や身近にいる大人の生活習慣を、子供は自然と学びとっている。それは、良い所ばかりでなく、悪い所も。 挨拶というのは、人と人との関わりの中で、とても意味のある大切な習慣の一つだと思う。家庭の中で言えば、大人が子供に教える躾の中の“基本”とでも言えるのではないだろうか。 いろいろ偉そうなことを書いてしまったが、一つの挨拶が人と人との関係を円滑にしてくれるという事を教えてくれたリナちゃん、レナちゃん、ありがとう。 次回は、菊地みどりさん。常に美を求めているような人です。
村上さんは、こんな人… relevos.17 佐藤
久代 やすこちゃんはやすおさんと1988年12月24日に結婚しました。友達の中で一番結婚の早かった彼女は、お人形さんみたいな花嫁さんでした。新婚1ヵ月のお宅に3泊もしたのは私です。現在石岡市在住、今月(1999年11月)出産予定、2児の母になります。
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relevos.19 菊地 みどり 「夢をもとう!!」 |
突然ですが、あなたは今、夢をもっていますか?毎日の生活に満足していますか? 結婚はとりあえずしてしまったし?小さい子供もいて、今さら夢も…なんて思っている人、結構いるんじゃないかしら…?そういう私も、実は、何も考えずにボーッと子育てをしていた時期もありました。あっ、子育てなんて書いて娘に叱られるかもしれません。子育てという言い訳のもとで、ボッーと暮らしていました。そう、そう、こちらが正解です。小さな子供がいてどこへも行けないし、と思ってはテレビと長いおつき合いをして、夕食の準備をしなければ、と簡単な料理の繰り返しでした。 そんな私も、以前から30歳代には、素敵な女性になっていたい!という、なんかとっても漠然とした想いがありました。それがどういう女性なのかも分からないまま…。ですから、29歳位から、友人がパソコンを習い始めたとか、こういう仕事を始めたとか耳にすると、私も何かしなければ…と焦り始めました。それでも、今は自分が本当にやりたいことを探す期間に充てようと言い聞かせていたのです。いつかきっとチャンスがくると信じて。 チャンスは見逃さなければ、何度か訪れると思います。ただし、どうしても私達は、現状から少しでも離れてしまうと不安に思ってしまうような気がします。例えば、今まであまり外へ出る機会が少なかった専業主婦が何かを始めることです。例えそれ程、金銭的な負担が少なくても始めずらいような気がします。オシャレにしても、そんなこと必要ないし、余裕もないー本当にそうかしら?高価な物だけがオシャレとは限らないし、チープな物をセンスよく見せるオシャレだってあります。考え方ひとつですよね。 『仕方がない』これがクセ者なのです。子供がいるから仕方がない。余裕がないから、もう若くないから…仕方がない、本当にそれでいいのでしょうか?仕方がないのでこれからの人生ずっと続けていくのですか?そうじゃなくて今現在の時間や優先順位を工夫しながら何かを見つけてゆけたら…。怖がっていたら先に進めないと思いませんか?やりたいと思ったことに挑戦できたら、素敵ですね。 常に惰性的に過ごすのではく、自分から何かを始めてみる、これが大切だと思うのです。私にもやってみたいことがたくさんあります。いろいろ勉強したり、行きたい所もあります。これも私にとっては大切な夢です。この夢は、眠っている間にみるものではなく、目標として1つずつクリアしていく自信こそ、私の思う素敵な女性なのかもしれません。私の30代は今後の為の自分磨き、子供の成長と一緒に自分も成長していきたいと思っています。いつでも夢にむかって…。 次回は、とっても楽しい、私のよき理解者でもあります荒川奈穂子さんです。
菊地さんは、こんな人… relevos.18 村上
靖子 菊地さんは、土浦市在住の32歳。高校時代、運動部で3年間を共にし、辛さも楽しさも全て分け合ってきた大切な友人。どこにいてもムードメーカーとなる人。現在は、社交的な性格を生かし、化粧品の宣伝・販売を仕事として業績を伸ばしている。一女の母。
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relevos.20 荒川 菜穂子 「私のキラキラしたもの」 |
学校から帰り玄関のドアを開ける。部屋はしんと静まりかえり、電気も消えている。でも私は気にせず、上がって明かりをつける。(お母さんは、又仕事かあ。) おばあさんは、家の裏にある畑にいるのだろう。私は、ランドセルを置くと、お菓子を食べながら、マンガを読んで過ごしたり、友達の家に行って遊んだりしながら、夕方になるまで時間を潰すのだった。これが私の子供の頃の日常だ。母は私が小さい頃から、昼も夜も関係なく働いていた。ごくまれに家にいる時も、疲れて、コタツでいつも寝ている姿しか記憶にない。そう、母は?・・・・・?父のかわり?もしていたのだ。 私の父は大工さんだった。私と弟はまだ1才か2才ぐらいの、ほんの赤ちゃんだった。その日は12月24日クリスマス・イブだった。いつも父は1日の仕事が終わると、仲間の人達とお酒を少し飲むのを、楽しみにしていたそうだ。でもその日はクリスマスで小さい私達のために、早く帰ろうとその一杯を飲まずに、バイクで家路についた。でもそれがいけなかったのか?父はトラックの後方に追突し、帰らぬ人となってしまった。30代もなかばの、まだ充分に若い時にである。 それから、母は働き通しの毎日だった。私達の夕食は、おばあさんが作り、弟と3人で食べた。母と過ごす時間はほとんど無かった。 その分、たまの休日に母と一緒に出かける時はとても嬉しかった。デパートで買い物をし、昼食はイタリア料理のレストランで、ピザとグラタンを食べた。そのレストランは母と私のお気に入りで、大人になった今でも、その味はよく覚えている。私はそこの料理も好きだったが、何よりも母と、こうして過ごす時間の方が嬉しかった。 こうして、ちょっと寂しい子供時代だったが、それでも私は充分に幸せだったと思う。母には兄弟が多かったので、おじさん、おばさんが沢山いた。何かといえば面倒を見てくれたり、遊んでくれた。おばあさんも大好きだった。仲良しの友達もいた。有り余るくらいの愛情につつまれていた。家はオンボロで、すきま風がピューピユー侵入してきた。でも楽しい想い出の、たくさんつまった家だった。子供の頃を想い出すと、いやな事もあったのだろうが、ほとんど、楽しかった事しか覚えていない。 そんな私も、2人の子供を持つ母親となった今、子供達は幸せなのかなと時々考えてしまう。それは自分の子供に限らず…。 最近、子供が関係する悲しいニュースをよく耳にするが、その度に、何ともやりきれない気持ちになる。 どうか、大人がもっと幸せになってもらいたいと思う。そうすれば、子供達も安心して、もっと幸せになるだろう。そして子供達には、親と一緒の楽しい思い出をいっぱい作ってあげたい。それが子供の頃の私が、最も欲しかったものであり、なかなか手に入らないものだったから…。それが子供達の一生のキラキラとした宝物になるのだろうから。 次は悪友(?)の町屋佳子さんです。
荒川さんは、こんな人… relevos.19 菊地
みどり 菜穂子さんは、青春時代?を共にしてきた友人の一人です。人の話を自分の事のように考えてくれるとっても温かく、ユニークな人です。これからもずっと、楽しく、共に夢を語り合える友人でいたいですね。 東京都在住。
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