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 relevos.41〜45

relevos(リレーエッセイ)は、気ままに連鎖します。
当財団は口をはさめません。


 relevos.41 岩名 真由子   「キューティハニー」

 小さな子供だった頃、私は“キューティハニー”というテレビアニメが大好きで、色々な職業・スタイルに変身し問題を解決していくハニーを見ては、「かっこいい〜」とため息をついていた。そして一方、「本当のハニーは誰?」と考えたりした。
 “自己プロデュース”最近たまたま目にしたこの言葉が、なんだかとても気になっている。プロデュースって、人が物や自分以外の人にするもの、他人がしてくれるものだとずっと思っていた。だからこの言葉は、私にはとても新鮮に感じられたのだ。
 よく考えると、この“自己プロデュース”という行為は何も今に始まったことではなく、それはずっと以前から別の言葉で語られていたことだ。例えば服装に関して、TPOに応じた身なりをするだとか、着る服の色などで相手に与える自分の印象を変えたり、その時の気持ちを表したりするとか。“自分を演出する”というセリフも、色々なところで耳にしたり読んだりしてきた。けれどこの“自己プロデュース”という言葉程、強くは気持ちが引き付けられなかった。
 今までの私は、周囲から自分がどう見られるのかを異常な程気にして、ガチガチに自分をプロテクトすることばかりに必死になるか、周囲の目を意識する余裕すら無く、別のことに没頭し自分を忘れるかの、そのどちらかだった(極端すぎるのだが…)。“自分を演出する”なんて仰々しくて恐れ多い気がしたし、服装によって印象を変えるというのも自分には少し作為的なようで気がひけた。けれどこの“プロデュース”との言葉には、自分も楽しんで相手も喜ばせる、ちょっといたずらの入ったような“遊び心”が感じられた。「面白い!」と気持ちが反応し、この感覚なら私にも付いて行ける、受け入れられると思った。そう、それは私にとってはキューティハニーと同じだったのだ。
 子供の頃から、今とは違う自分になりたいと何度も思い、“変わりたい”と切に願った。それなりの努力もした。けれど今だになりたい自分にはたどり着けずに、変わろうとすることはむしろ苦行となった。諦めようとするもそんな自分には満足出来ず、前向きになれないままこの数年を過ごして来た気がする。
 自己プロデュースという言葉に興味を持ちやがて気付いたのは、プロデユースはその人の持ち味を見極め、場面を読まなければ成功しないということだった。自己プロデュースするにはまず、自分自身を客観視するところから始めなければならない。自分と向き合うこと、それは私が1番苦手としてきたことだった。
 「本当のハニーは誰?」と思う私をよそにハニーは変身し続けた。私も「本当の私はどこ?」と、自分をプロデュースし変わる楽しみの中で、自身を見つめ探していきたいと思う。おばあちゃんになっても「夢はキューティハニーよ。」と言えたら、またそれも素敵だなと感じる今日この頃であった。
 次回は私の良き理解者であり、相談役でもある妹の岩名恵実にバトンタッチします。「目指せ!叶姉妹!」と言い合いながら挫折しまくっている、どうしようもない姉妹。私の人生の同志です。


岩名真由子さんは、こんな人… relevos.40 満永 浩司
 彼女は、僕の友達のお姉さんで、住宅の外構・造園の仕事に携わっています(28歳)。絵を一緒に観に行ったことがあるのですが、かなり好奇心旺盛で、そのエネルギーにジェラシーさえ感じるほどでした。やはり、夢を追い続けている人の眼はすごく輝いています。かなりかっこいい生き方です!



 relevos.42 岩名 恵実   「可能性」


 「幸せとは、楽に生きる事ではない。自分の可能性を信じる事だ」
 これは、美大を卒業する時、先生が私たち生徒に贈ってくださった言葉です。
 小さい頃から一風変わった子でした。いわゆる女の子同士でトイレに行くというような習慣に順応できない、良い意味でも悪い意味でも集団行動の出来ない子供でした。
 周りから浮くというのは、生きていく上では不都合な事がままあるものです。その不都合を中学生時代に少なからず味わった私は、高校入学して以降できる限り「普通」になろうと努力しました。しかし、しゃべり方を変えても服装を変えても、どこをどうつくろっても、何をどうしても、その人の本質というのはやはりにじみでてしまうものらしく、26才になった今だに、人に「変わっているね」と言われます。
 が、そもそも「普通」って何なんでしょう。どなたか是非、「ふつう」の定義を述べ、更にそれが正しいという事を立証して頂きたい。それに、地球の歴史に残る立派な人たちの中には、当時「変人」と言われた人がたくさんいるではないか。
 そうだ、変人バンザイ。
 無理をして自分を不自然に作っていた頃仲の良かった子は、今はほとんど疎遠になってしまいました。今でも仲の良い私の友達は皆、少し変わった人ばかりです。例えば、夜中街を歩いていて、壁にへばりついているヤモリを見つけるや、わしづかみにして「ペットにする」と持って帰ろうとする子。虫をモチーフに描きたいからと言ってトンボを生け捕りにし、はくせいなるのを待つ子。デッサンの授業中男性モデルのスネ毛を異常にリアルに描きあげ自慢気な子。みんな、大好きです。
 地球の歴史に残ることが出来るほどには、私は変人ではないし才能もありません。けれど、中途半端に普通になろうとするよりは、いっそ開き直って「一風変わったひと」でいつづける方が楽しいのではと、近頃ようやく思えるようになってきました。どうせなら、変わっている事を極めてしまうくらいの勢いでも良いのではないだろうか。そうする事でおのずと、本当にやりたい事、本当の居場所というものが見つかるのではないでしょうか。
 小さい頃私は、絵を描く仕事がしたいと思っていました。これはなかなか簡単なことではありません。しかし、私なりにもう一度、がんばってみたいと思います。
 自分の可能性を信じる事
 幸せの定義はひとそれぞれですが、先生がくれたこの言葉が、私は好きです。自分を信じる事で、努力する力がわいて、そこから可能性が広がってゆくのだと思います。
 誰にでも、いくつになっても、どんな状況においても、可能性は必ずある。そう信じてがんばりたいと思います。
 次は、愛知県在住の溝尻容子ちゃんです。


岩名恵実さんは、こんな人… relevos.41 岩名 真由子
名古屋市在住の26歳。一匹の魚と同居中の彼女もまた、自分の目指す道を探し中です。幼い頃母が“恵実ちゃんの絵は、色使いが少し変わっている、才能だ(親ばか)”と言っていたのを今でもはっきりと覚えています。いつかその色彩感覚を磨き上げ、発揮してくれることでしょう。(姉ばか)



 relevos.43 溝尻 容子   「本当の贅沢」

 最近、本当の贅沢とは何かを考えさせられる出来事があった。
私は芸術系の大学を卒業し、今は絵を描くことでわずかな収入を得ている。その他にアルバイトもしているが収入の大半は生活金として消え、残ったお金は月に数回通っているボーカルスクールの月謝などに消えていく。そう、私は歌うことが好きな絵描き貧乏。一人暮らしを始めて6年近く経つが未だに金銭的に余裕を感じることはない。実家に帰って就職活動をしたら毎月ショッピングを楽しめる生活が送れるのだろうが、その道を選ぼうとしないのはなぜか…話すと長くなるし本当のところを語るのは難しい。ただ一つ言えるのは、私は自分の中に答えを探すように今の道を歩いている。そんな私が、知人とコツコツお金を貯めて神戸旅行に出かけた。たまにはパーッと贅沢してやろうと思って、名物を食べまくり、雨が降ればタクシーに乗り、旅行雑誌を広げ名所をまわった。色々と楽しんでスカッとした気分の反面、せっかく貯めたお金が泡のように消えていく様が空しくも感じられた。そんな旅の途中に喉が渇いて飛び込んだ喫茶店で、私は『タンゴを踊る』という貴重な体験をした。「CAFF」と書かれた店の中に飛び込むと、長身の老人が口ひげの奥から「いらっしゃい」と静かに迎えてくれた。しかし、そこは普通の喫茶店とは何か違う?そう気付いたのは店の隅にあるテーブルに座り飲み物を注文した後だった。店内の半分以上は何もない広いホール…なんとそこは、ダンスホールカフェだったのだ!なんだか場違いな所に来てしまったと思い、私は出てきたジュースを飲みほした。そして、急いで会計をしようと席を立つと老人店主が「タンゴを踊っていきなさい。」と言うのである。他に客もいない広いホールで私は老人にタンゴを習い、ゆっくりと曲にあわせて踊った。旅行に来て偶然入った喫茶店でタンゴ?!と最初は半笑いで踊っていた私も、そこが週末になると有名ダンサーが集まる所で雑誌に掲載されることもあり老人自身も現役ダンサーだと聞かされると、次第に真剣に踊るようになった。老人は私のような素人に手取足取り指導してくれたし、その指先や息づかいから老人が踊ることに喜びを感じていることが見て取れた。そして私も次第に踊ることの楽しさを感じるようになってきたのだ。結局30〜40分ほど踊って店を出るとまた喉が渇いていたが、私の心は充実感で満ちていた。どんなにお金をかけてもきっとこんな充実感は得られないかもしれないと思うと、私はもの凄く贅沢な気分になった。そうだ、本当の贅沢とは心を満たすものなんだ。それは気付いていたようで忘れかけていたことだった。思い返せば、いままでの25年間、私の人生はいつもこんなんばかりだ。後先よく考えずに色んな扉を開けて飛び込んできた。絵描きになろうと思った時も、実家を出て一人暮らしを始めた時も、歌をやってみようと思った時も。なんの準備もなく、ただ好奇心で、やってみたかったから…その一心で始めた色んな事。うまくいく時もいかない時も最後には何とも言えない充実感が残る。それだ!それがあったから今までやってこれたのだ。私はいつも充実と喜びに心満たされて暮らしてきた。そんな暮らしこそ私にとっての本当の贅沢といえるのだろう。
次回は私の通うボーカルスクールで知り合った友人、高橋三奈子さんです。


溝尻容子さんは、こんな人… relevos.42 岩名 恵実
溝尻容子ちゃんとは浪人時代、ほぼ毎日いっしょに過ごし、苦楽を分かち合いました。容子ちゃんは、似顔絵描きの仕事をしながら音楽活動にも力を入れていて、最近では作曲にもチャレンジしているようです。大変バイタリティのある人で、私は彼女をとても尊敬しています。



 relevos.44 高橋 三奈子   「人生で大切なものは全てそこで学んだ」

 1月。ここ数年必ず流れるニュースがある。それは「荒れる成人式」。大体そのニュースを見て私が荒れるのだが(笑)、暴れる新成人の気持ちが全然わからなかった。でもニュースの中、ニヤけた阿呆面でインタビューに答えるどこかの街の新成人の言葉を聞いてちょっと閃いてしまった。「目立ちたいし、ハメをはずして楽しいから」。そうか、この子達には王様になれる場所が今までなかったんだなー、と。
三重県飯南郡飯南町。人口6000人程の小さな町で私は育った。町には、信号が3つ、コンビニが1つ、スーパーが1つ。驚異的な田舎!!だけれど、とても美しい大好きな町である。
幼少時代、私には秘密基地にしていた大好きな場所があった。自宅の裏に流れる川なのだが、水面から何mもある高い岩の上に、伊勢湾台風の時に流れてきたコンクリート管が引っかかっていて、私は小学生時代の放課後のほとんどをそこの中で過ごした。コンクリート管を中心にして約半径50m、そこでは私が王様だった。毎日フルコース(駄菓子だけど)をおこづかいが許す限り食べまくり、下々の者達(蛙とかメダカとか亀)を見回る。その小さな世界の全ての事が、私の意のままだった。だから、私は外出する時とても手のかからない大人しい子だった。だって、外は他の人のテリトリーだから。自分の意のままにしていい所では無いことをよくわかっていた。そうやって育った私は、成長しても王様でいられる自分の世界、活躍出来る場所を作る事を忘れなかった。もちろん大人になって、自分の世界を守るにはそれなりの努力が必要だけれど。成人式なんかで目立とうと考えてしまうのは、自分が治める世界がきっとないのだと思う。皆、自分が居るという事を認めて欲しい、その気持ちはとってもよくわかる。その術を学ぶ機会がなかったのだと思う。
幼少期を過ごしたその小さな世界は、他にも大切な事を教えてくれた。それは命の大切さ。小さな世界の小さな命、それを自分が左右出来る事、そして同時に絶対に関与できない大きな力。さっきまで元気に動いていた虫、死んだらどうなるのだろうという好奇心の果てに、動かなくなってしまった命を見て、急に恐ろしくなった事。冬の刺すような冷たい水の中、春を待つ蛙の卵の中に手をいれた時、温かかった事。摘んだ花がいつの間にかまた咲いている事。そういう経験で人が人を殺すことは本当に恐ろしいんだという事とか、小さくても命は大切とか、思いやる事などを「心で」学んだ。人生で大切な事の根っことなる部分は全てその小さな世界が教えてくれた。
私は今、自分が活躍する為の場所として、歌を選んだけれど、その時に必要なイマジネーションも全てあの小さな世界が元になっている。もう、なんて素晴らしい所!!そんな場所が自分の故郷にあって良かった。人生の、おおまかな流れを左右するのは幼少期に育った環境と出会った人だと私は思う。どちらも運命的なものだけれど、自分は運良く最高の環境で幼少期を過ごす事が出来た事に感謝している。星の少ない空を見ても、花の咲かない道を見ても、私の心にはいつも、星が降っていて花が咲いているあの小さな世界が映っている。そして、それは永遠に枯れる事はないから。
次は、音楽を通じで知り合った、河野彰さんです。


高橋三奈子さんは、こんな人… relevos.43 溝尻 容子
三重県出身、愛知県在住の23歳。プロを目指して日々突き進むボーカリストです。根性無しの私にいつも刺激を与えてくれる彼女は、強いキャラクターの裏側に繊細な乙女心を持つ若きアーティスト。ボーカリストとして実力をつけてきた今日この頃、今後の活躍を楽しみにしています!



 relevos.45 河野 彰   「プラスとマイナスの触れ幅」


 大学を出て、1年間のサラリーマン生活、その後、バンド活動に専念するため、フリーターに転身、現在26歳、独身。私河野彰はそんな人間であります。
学生時代のアルバイトからサラリーマン時代、現在のフリーター生活に至るまでに、結構色々な人と一緒に仕事をしてきた。学生の定番、塾講師や日雇いのイベント設営、ゲームセンターの店員といった割と普通の仕事から、新幹線の清掃員、銀行員、電気屋の店員等、わりとバラエティに富んだ仕事をしてきたので、それとバンド関係の知り合いを合わせると、相当な数になる。
そんな中で、私が個人的に惹かれたり、興味をもったりする人に共通するのは、「どこか抜けたところがある人」である。
それは、なんでもこなせてしまう人とは反対の位置にいて、「なんでそんな事もできないの?」というような所があるんだけど、なにかその人の得意な事をやらせたら、ものすごい集中力で誰にも負けない・・・、そんな人達。
例えば、すごくセンスのある絵が書けるのに、全然人の話を聞いてない人、とか、やたら計算とか事務処理が速いのに、しゃべると相手に自分の気持ちが全く伝えられない人とか。
自分もそうゆうスペシャリストになりたいんだけど、残念ながらまだなれていないし、一生なれない気もする。
私はどちらかというと器用貧乏なほうで、あれもこれも割と無難にできてしまうけど、どれか一つ、誰にも負けないものがあるかっていわれると・・・ない。
ただ、ずっとそうゆう人に憧れてはきたけど、自分のような人間もいないと世の中成り立たないな、と思えるようにはなってきたけど。
人の魅力って人によって感じ方は様々だと思うけど、私は昔からどこか、影のある人に惹かれるようだ。それは恋人でも友達でも。いくら普段明るく振る舞っていても、影のある人、言い換えれば負の部分を持った人ってわかるようになってきた。ただ、その負の部分をもっているだけじゃなくて、その負の部分があるからこそ、普段が明るく輝いている人、最高です。
そういう人には自然と、悩みなんかも打ち明けてしまう自分がいるし、逆にそういう人達の相談に乗ったりすることが好きなだったりもする。もっとも、そういう人達って社会秩序や一般常識の中では生きるのが苦手な人も多いので、サラリーマンとかは向いてないのかなあ、とも思うが。
そんな人達もやはり正と負の振れ幅は人それぞれだが、負の部分がより深い人ほど、正の部分も比例して輝くような気がする。その振れ幅が極端に大きい人の一部が、ピカソであったりモーツァルトであったりするのかな、と。
私の周りの今は小さなピカソやモーツァルトがいつか世の中のみなさんに認められる日が来ることを願いつつ、今日も私は彼らの魅力と気まぐれに振り回されているでしょう。
次回は、愛知県に住む不思議主婦、銭谷 智子さんです。


河野彰さんは、こんな人… relevos.44 高橋 三奈子
河野氏は私と感覚がとても似ていて、私が言いたいネタをいつも先に言ってくる人。精神的双子とも言えるくらいの。まだ出会って半年なのに、ずっと友達みたいな感じ。眼力が強く、あまり眼を見れない。取り込まれそうになるから。だけどキーボードを持たせたらかなりいい仕事をする26歳、マッドシティ知多市在住。




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