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 relevos.46〜50

relevos(リレーエッセイ)は、気ままに連鎖します。
当財団は口をはさめません。


 relevos.46 銭谷 智子   「美味しい生活」
 
主人と愛猫との三人での生活、まもなく31歳の誕生日を迎える福祉施設での栄養士として働くために就職活動している専業主婦、それが今の私だ。1年半前から学生の頃していたバンド活動を再開し、ギタリストとしても活動している。趣味は料理、このように書くと素敵な奥様のようだ。パン教室にも通っている。週に1・2回は家でも焼いている。好奇心旺盛で夢中になると一直線、没頭し始めるとそのことばかりだ。その割にはとても不器用で料理が出来るようになるまでも、自慢ではないが人一倍時間がかかった。
 人は、私を“不思議主婦”と呼ぶ。さて、なぜだろう?確かにバンド活動もしている。ライブの後、打ち上げと称し飲みにも行く。海外旅行に友人と行く。そんな私への反応は“家は(旦那さん)大丈夫?”である。どうも主婦イコール家庭の中にいる。という考えが強いようだ。確かに私でも用事がない時はいつも家にいる。“旦那以外と話をするのは1週間ぶり”という日も多い。私の行動のすべては我が家のルール“独立採算制導入”を基盤にしている。簡単にいえば、家庭で使うお金は家賃、光熱費、食費などすべて二人で平等に出し合う。残りのお金は各自が責任を持って管理するということだ。この制度を導入したことによって、お互いの時間なども尊重し合える関係を作れたのだと思っている。
 このルールは結婚生活スタート時に二人で話し合い決定した。共働きであったこと。学生からの付き合いだったため平等という意識があったこと。そして、休みも不規則な上に、彼よりも長時間労働で帰宅が私の方がはるかに遅かったこと。なによりも、当時私は仕事に夢中で仕事を生活の中心に置いていたこと。そしてその事を私以上に彼が理解していてくれたこと。残念なことに仕事はその後、体調を崩してしまい辞めざるを得なくなってしまったが、今でも多くを学べたこと、夢中になれる職業に就けたことに感謝している。休みも同じ日ではなかったので家事に関しても分担制ではなく“出来る方が出来る時にやる”というスタイルも自然に出来た。当時、帰宅をすると彼がいつもギターを弾いている。ギターを置き今日は○○だよとかいいながら、晩御飯を出してくれた。私は美味しい、美味しいと感嘆の声をあげた。本当に私よりもずっと上手なのだ。残念なことに今でも…その刺激で私は料理に目覚めたといっても過言ではない。食事を終えると私が後片付ける。そして、彼はまたギターを弾き始める。そんな毎日を過ごしていた。
 では、専業主婦になった現在は?家賃を半分払えなくなってしまった私は家事全てを引き受け、生活費のみを半分負担している。お金のことはいいよと彼は言ってくれたが、私のわがままで半分だけ。なんとなくこの関係を壊したくない気持ちがあってのことだ。夫婦のカタチ、それは夫婦の数だけあるのだろう。客観的に見て、私達夫婦のカタチを不思議と思われるのかもしれないが、私にはとても心地よく何か緊張感がありとても気に入っている。また、状況が変化することによってこのスタイルのままでは続けられなくなることもあるだろう。その時はまたスタート時のように話し合い昇華できる関係を築いていきたい。
 只今の正直な気持ちは早く希望の職業に着きたい。もちろん経済的なこともあるが、一社会人として自分の足でしっかりと歩きたい。今の一番の目標だ。もし、彼が突然ギターを弾いて生きていきたいなんて言い出したとしても、笑いながら“がんばって、じゃ今度はとりあえず君が主夫だね”なんていってみたい。そんなとこだ。内心ハラハラしつつも。
 次回は私の人生の半分を友人として過ごしてくれている名古屋市在住吉田香織さんです。


銭谷さんは、こんな人… relevos.45 河野 彰
愛知県在住、30歳。未だ謎な所が多い不思議主婦、銭谷 智子さんです。どこか違う宇宙からやってきたような錯覚におちいることもしばしば・・・
そんな彼女の奏でる左利きギターもやはり、不思議な音色とリズムで心に迫ってきます。



 relevos.47 吉田 香織  「YUI-KNOW−SHOW」


 結婚することになりました。今ドキの若者らしく、「あっさり」「スマート」に終わるはずだったのですがそうは問屋が卸さない。そう、ここは悪名高き名古屋なのです。たっての両親の願いにより古式ゆかしき結納を執り行うことと相成りました。
 4月某日、結納をやると決ったとき、おそらくウチの両親の頭には「宣戦布告」という言葉がよぎったに違いありません。急遽結納プロジェクトが召集され、チーム新婦VSチーム新郎。戦いの火蓋は切って落とされたのです。なんせ我が家から花嫁を送り出したのはざっと20年前の叔母の時以来。緊張するのもムリはない。だが、しかし。
母「何を着たらよいのか、相手のお母様にそれとなーく聞いてくれない?
私「いいじゃん、好きなの着りゃー」
母「そんなこと言わんでよ(怒)だって初めてのことで分からないもん!」まるで女子高生のようにキレる母。その後も「お茶うけの饅頭は紅白にすべきか」「花柄のワンピースは派手ではないか」「ワックスは1週間前にかけるか3日前にかけるか」等々「どうでもいいじゃん!」と叫びたくなる心をぐっとなだめすかし、根気よく母の相手をすること2ヶ月。
 やってきました。6月某日。結納前日のヨメ(私)はちょっと高めのネイルサロンに行き、浮かれ気分で結納会場となる我が家に到着しました。着いて唖然。家中ワックスで足は滑るし畳は新品。母は美容院に行ったとのことで不在。気合が入るあまり支度をする気も失せたのか夕飯はパックの鮨。鮨を食べてゆっくり寝るかなと思いきや突如母は妹を呼びつけ「ちょっと、明日の予行練習してくれない?こんにちはっていって玄関入って」
怪訝な顔のまま外においやられる妹。当日の衣装のスーツを着せられ玄関先に立たされる私。そして両親。
父「いや本日は遠いところをわざわざお越しいただき・・」
母「ちょっと!お父さん!わざわざって言葉は重ね言葉だから使っちゃダメよ!!」
こうして夜は更けてゆくのでした。
 そして結納当日。父による打ち水のし過ぎでまるで夕立後のようになった我が家にチーム新郎が乗り込んできました。結納というものは来るなり飾りつけを新郎側が行い新婦側はその風景を見ないものらしくぼーっと台所でひそひそと会話をしてるのです。
待つこと数十分。「できました」とやってきた新郎母の顔を見ると汗だく。疑問に思いながら座敷に入ってみるとなんとクーラーが「暖房」になっていた・・。恐縮しながらもショーの幕は開いています。「本日は私どもの息子にお嬢様を・・」なぞという口上を承っているその後ろでこっそりとクーラーのリモコンを最低温度にする私。そして予期せぬトラブルに焦った両親はあわてるあまり「クーラーが・・」と口走ってしまい、受け口上は後回し。こうして初夏の爽やかな日差しの中YUI-KNOW-SHOWはお開きになったのでした。
 後日談。「相手のお母さまのカーディガンがシャネルだった!」と叫ぶ母の姿あり。式のその日まで戦いは続く・・。


吉田さんはこんな人… relevos.46 銭谷 智子
吉田香織、彼女との出会いは高校1年の春。同じ部活動だった。大学時代はバンドメンバーとして、その後飲み友達となり私のお母さんも兼ねた親友である。しっかりモノでテキパキとした多趣味型人間。意外性1で、次は何を飛び出させるのか期待させられっぱなしである。名古屋市在住のハイテンションOL。



 relevos.48 大澤 陽子  「おろしや国パッケージツアーのススメ」

 私は海外旅行好き。今までに訪問した国は20ヶ国以上。でもいつもパッケージツアーです。何故なら、「お金なし・時間的余裕なし・ 度胸なし・語学力なし」のないない尽くしだから。「エアー+ホテルのみ」のツアーから「添乗員付き・自由行動なし」まで本当に色々なツアーがあるもので す。自分でプランを立てて、チケットを買って、地元の人と触れ合って、という旅もいいものでしょう。でも私は断然パッケージツアー派なのです。
そんな私が今年の夏休みの旅行先として選んだのはロシア。「宮殿ホテルに泊まりタージマハル見学のインドツアー」と「モンサンミッ シェルとロワールの古城巡りのフランスツアー」の二択で迷っていた私は、偶然見た「世界・ふ しぎ発見!」のロシアに釘付け!前々から一度は行ってみたいとは思っていたこともあり、友人に即メールしたのでした。ロシアは一般的に言って、「行かない?」「行こ う!」とはなり辛い先だとは思います。しかし、さすがツワモノの友人。即答で旅行先 が決定したのでした。 とはいっても選んだツアーの催行人数は15名。集まらないかも・・・と思っておりました。しかし、申し込んでみたらなんとキャンセル待ち!何気にロシアは大人気だったのです。でも数日後、知り合いの旅行会社の方に強烈プッシュをしてもらった甲斐があったのか、無事申し込むことができたのでした。
 行けるとなったらガイドブックで予習です。私は添乗員付きツアーであってもガイドブックをト書きまで全部読むタイプ。通勤の電車で 出発の前日まで読みまくるのです。そして向かった三省堂。私の愛用はJTBの「ワールドガイド」。なのに・・・ロシアのはない。結局あったのは「地球の歩 き方」のみ。地球の歩き方と言えば、バックパッカーや個人旅行の人御用達というイメージ。添乗員付・自由行動なしでキャンセル待ちまでした大人気旅行先な のに〜と哀しくなりながらも無事購入したのでした。(結果、ツアーメンバーの殆どが同じ地球の歩き方を持っていました。)
 そして夏休みを心待ちに働いていた2004年夏。ロシアでは色々な事件が起きました。地下鉄テロ、飛行機墜落、小学校占拠。思えばドバイに行こうとしたあの夏、アメリカ同時多発テロが起きたのだっけ・・・と切ない思い出がよぎりました。しかし友人からも「行くの止める?」という話はなく「なんか大変なことになってるね〜」程度の反応で、無事ツアーも催行されることになり、出発の日を迎えたのでした。
 ロシア、素晴らしかったです。赤の広場、クレムリン、ボリショイサーカス、寝台列車、エルミタージュ美術館、ピョートル宮殿、エカ テリーナ宮殿とどれも流石!という感じ。ただ、個人旅行で行くにはちょいとキツイかなと。ご興味のある方は是非パッケージツアーでどうぞ。お勧めです!
 次は私の偉大なる兄 大澤武彦です。


大澤陽子さんはこんな人… relevos.47 吉田 香織
次回は新卒の社会人時代、口ではいえない苦労をともにし、仲良く同時に胃をやられた稲沢市の会社員、大澤陽子さんにバトンを託します。奥深い知識と優雅な立ち居振る舞いがすばらしい貴婦人です。



 relevos.49 大澤 武彦  「D.I.Jのピストル」

 私は営業と言う仕事柄、車での移動が多く、それも担当エリアが広いために高速道路を利用することが多いです。およそ月に5000キロくらいは走っています。
 ここで一番の問題点は「眠気」との戦いです。もちろん、適度に休憩を入れることが最適なのは分かっていますが、いつでも休みを取れるとは限りません。ごまかすために、いろんな方法を試しました。コーヒー、ガム、大音量でのカーステレオ・・・。しかしどれも決定打にはなりませんでした。
 そんな私がたどり着いた最適の方法は「大声で歌う」。これが一番です。自分の十八番をエンドレスで歌うも良し、ラジオから流れてくる知らない曲を無理やり歌うも良し、即興での作詞作曲、これも結構効きます。恥ずかしがってはいけません。窓を閉めていれば世間にご迷惑をかけることもないですし、ストレスの発散にもなります。
 しかし先日、このことが原因で人様にご迷惑をかけてしまいました。ここに告白し、懺悔し、お詫びし、深く反省いたします。
 その夜、一週間の仕事を終え、青森から仙台へおよそ350キロの道程をいつものように運転していました。そのときの東北道は交通量も少なく、いつものように鼻歌を歌っていました。
 ちょうどこの時、私は結構風邪をこじらせており、まあ熱は出ていないので頭ははっきりしているのですが、喉がガラガラでいつもの自分の声ではなく、それが面白かったので普段は歌わないような曲もいろいろ繰り出していました。
 すると、ちょうど声の感じが浅井健一にそっくりであることに気づきました。普段は出ない声が出ることでうれしくなっていた私は、昔のブランキージェットシティ時代の曲から現在のユダ゙の曲(どちらも在籍していたバンドの名前)までいろいろ歌っていました。特にはまったのが、“D.I.Jのピストル”という曲でのサビの最後で「でぃぁいじぇいのぉ、ぴすとるぅ〜っ!」と叫ぶところが非常に似ていたのですっかり気に入り、小一時間ほどずっとそのフレーズ゙ばかり歌って遊んでいました。
 そして、無事帰宅し、駐車場に車を停め、アパートに戻る前にちょっとコンビニに寄ることにしました。駐車場から目指すコンビニまではほんの数百メートルなのですが、暗い道で人通りも普段は殆どありません。しかももう夜11時過ぎていましたし、まず人はいない、と思ってしまったのです。
 で、もう車から降りているのに、調子が止まらなくて、また例のフレーズ゙を叫んでしまったのです。路上で。
 すると、前方から「ひっ!」と言う二人の女性の声が聞こえ、ばたばたと反対方向に走っていく学生くらいの人たちの後姿のシルエットが見えました。私もびっくりしましたが、彼女たちはもっとびっくりしたことでしょう。何せ暗い道で夜に私のようなおっさんがいきなり意味不明の言葉を叫んだのですから・・・。
あの時のお二人様、本当に申し訳ありませんでした。(ここで謝っても仕方ないけど)。
 今後は、うかつに鼻歌を歌ったり叫んだりしないよう気をつけようと思います。でもありますよね?誰にでも。こういうこと・・。ないかな・・。
 ちなみに、この時私が歌っていた“D.I.Jのピストル”は、'93発売のブランキージェットシティのアルバム「C.B.Jim」に収録されています。ご興味をもたれた方は是非!名盤です。
次回は、幼馴染みの金田一元君です。


大澤武彦さんはこんな人… relevos.48 大澤陽子
大澤武彦は新潟在住の33歳会社員(独身)。私の実兄です。小さい頃は「やさしくてたよれるおにいちゃん」だったのですが、いつ頃からか…?高校時代は後輩から「デビル武さん」などと呼ばれていたようですが、愛されキャラなお兄ちゃんです。



 relevos.50 金田 一元  「”自転車乗り”になりませんか?」 


昨年秋、街なかを颯爽と走る自転車に目がとまるようになり、自分もそんな自転車に乗りたいと思いました。
私と自転車といえば、思い出されるのが小学生時代の自転車ブームです。
時、スーパーカーと呼ばれるスポーツカーのブームもあってか、自転車にもその影響が強く反映されていたことが思い出されます。
当時流行った自転車の変速用レバーは、自動車でいうところのオートマチック車のシフトレバーの形状をしていました。
車体の後部にはブレーキランプや方向指示器が搭載されており、前部のライトには、ロービーム、ハイビームに加え、車種によっては、電動で開閉するリトラクタブルライトが装備されていました。
その自転車の最大の弱点は、ライトの開閉用に重いバッテリーを搭載していたことでした。
今でこそ、電動アシスト自転車という、重いバッテリーを積んだ製品がありますが、その重いバッテリーは走りを軽快にするためのものです。
それにくらべ、私の小学生時代の自転車は、夜間、ライトを開閉するために重い電池を何本も積んでいたのです。
その電池はライトを光らせるためではなく、走行自体には何ら影響しない、ライトの開閉のためだけにしか使わないのです。
これで、”スポーツ自転車”と称して販売されていたのですから、少年時代のわれわれの足は、さぞかし鍛えられていたことでしょう。なにしろ鉄下駄をはいて運動しているようなものですから。
さて、話を戻しまして、最近、私の目にとまった自転車は非常にスマートなものになります。
実際、購入前にいろいろとカタログで調べたところ、約11kg程度という軽いものでした。
ロードとよばれるタイプでは、その重量は軽く10kgを下回ります。
そんなに軽くて大丈夫なのかという不安もありましたが、実際に乗ってみると非常にしっかりとしています。
かなりの長距離を高速に走行するためのものですから当然のことだと思います。
実際の走りですが、軽さのおかげで軽快そのもの。ペダルを踏み込めば、一気に加速していきます。
自転車の速度を調べる場合、私の少年時代にもワイヤ式のアナログの速度メーターがありましたが、今はサイクルコンピュータと呼ばれるデジタル式のものが登場しており、ワイヤレスの製品も存在します。現在の速度表示はもちろんのこと、最高速度、平均速度、走行距離、走行時間。そして、ペダルの回転数や、心拍数まではかれるモデルまであります。
そういったアイテムを装備し、自転車で走り出すと非常に楽しいです。
パイプとゴムの集合体である10kg程度の物体を利用することで、人力にもかかわらず、人間が普通に歩く速度や距離に比べ、その能力を10倍程度に飛躍的に向上させられます。
たとえば、速度は40km/hくらいまで出そうと思えばだせますし、10kmくらいの距離も楽に走れると思います。
とある映画のセリフではありませんが、都会における短・中距離の移動手段としては自転車は最速の乗り物だと思います。
それでいて、無公害。クリーンな乗り物です。
先日も100kmほど走ってきましたが、30歳過ぎの運動不足の私でも6時間以内で走れます 。
ジョギングで6時間走る気にはなれませんが、自転車なら走れます。
最近は自転車をダイエットに使うようなメニューもできているようです。

運動不足を感じていたり、最近自転車に乗っていないなと感じる方は、いまどきの自転車に乗ってみてはいかがでしょうか?
きっと世界が変わると思いますよ。


金田一元さんはこんな人… relevos.49 大澤武彦
私が小4のときに東京に転向して以来の友人なので、もう23年の付き合いになるのですが、未だにどういう人なのか掴み切れません。先日彼の奥さんにも聞いてみたのですがやはり「よく分からない」との答えでした。会社勤めが向かなさそうと思っていたのですが、一流企業でのサラリーマンをずっとこなしている彼は、かわいい二人の娘の父でもあります。




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